2006年04月02日

『ブロークバック・マウンテン』重めのヤオイ

4月1日といえばレスリー・チャンの命日である。だからというわけではなく、映画の日だから、『ブロークバック・マウンテン』である。
『美少年の恋』、『ハッシュ!』、『僕の恋、彼の秘密』それに『ブエノスアイレス』などなどゲイ・ムービーには秀作が多いのだが、アカデミー賞候補とまでなったのが本作である。男同士の許されざる関係、というだけでドラマになる。俳優には繊細な感情表現が要求される。ここではさらに、アメリカ西部の美しい山々を背景にして、60年代から70年代のカウボーイの時代が描かれる。

夏の間の羊番として雇われたイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)は山の中で熊に襲われたり嵐にあったり、困難を共にしながら友情を育み、さらにそこから踏み込んで体の関係をもつ。その後、二人は結婚し子供を儲けそれぞれの道を順当に歩んでいたはずだったが、ジャックがイニスにブロークバック・マウンテンの絵葉書をおくったことから焼けぼっくいに火がついて、二人と周囲の苦悩がはじまる。

結局、二人とも幸せにはなれないんである。二人ともどうしょうもない男といえばそのとおり。自分の感情に嘘をついた結果なんであるが、時代背景が許さなかったのである。『ロミオとジュリエット』、『ウェストサイド・ストーリー』に通じる悲恋ものであるあたりも、高い評価の一因だろう。
血気盛んな男同士、顔つきあわせて二人っきりで一夏過酷な体験をともにすれば、一線を越えることってのもあり得るだろうし。二十歳のひと夏の記憶ってのは相当に強烈なわけで、その体験が甘美であれば、後の人生は失われた時間を追い求めるようになるってのはわからないでもない。二人が恋していたのは、相手というよりもブロークバック・マウンテンで過ごした時間だったのではないか、と。

ま、どうしょうもなくヤオイである。肉体的に成熟した美青年がカウボーイ姿で愛し合うんである。でもって、その愛はえらく真剣で重たくって、ずるずると続く。近年のアジアのゲイ・ムービーにあるようなつきぬけた軽さはない。一般的な日本の観客からは、評価がわかれるかもしれない。

ブロークバック・マウンテンで過ごした二人の年齢が二十歳という設定は、見終わって資料をみてから知った。鑑賞中は25、6だと思ってた。西洋人の男性は若作りが難しい。


ブロークバック・マウンテン
2005年 アメリカ 
監督:アン・リー
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2005年10月24日

『ベルベット・レイン』ー成功した邦題ー

『今すぐ抱きしめたい』の再現である。アンディとジャッキーは生き返り、大出世を遂げていた。ジーンズにTシャツ姿だったアンディ、身につけるものも分相応に高価になっている。今も昔も、それぞれのよさがある。男もこんなふうに年齢をかさねていければ、という見本。キレたら止まらない性格はそのまんまのよう。ジャッキーは歳を重ねても、相変わらず落ちつきがない。たのむから、兄貴分の足を引っ張りかねないことはやめてくれ。この二人、明らかに前作を意識していて、嬉しい限り。

二人が、地位と貫禄と引き替えに失ったのが若さ。こればっかりは、どうしようもない。そこで、ショーン・ユーとエディソン・チャン。ラブ・シーンがショーンのみなのも、前作をなぞるよう。

シンプルで慎ましかった前作に比べて、本作のセット・衣装は豪華。ファッション映画といっていい。若手2人も、オレンジ系の鮮やかでお洒落な衣装をカジュアルに着こなしている。ストーリーにあまり起伏がなく、やや雑なのに画面にひきこまれるのは役者たちと美術の美しさによる。たしかに、これまでの香港映画にはちょっとなかったタイプの映画である。監督は誰かと思えば、新人のウォン・ジンポー。

それにつけても、『ベルベット・レイン』という邦題は見事。英語タイトルは江湖の読みそのまんまのJiang Hu だから、これは日本の配給会社ががんばったものと思われる。大人二人がスクリーンで着こなし、日本でも街で流行りのベルベットに、ラストシーンの雨。
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2005年02月16日

『陽のあたる場所から』

共依存がテーマ、とかいうふれこみの話題の映画である。レディースデー、東京での上映終了てことで映画館に足を運ぶ。

フランスの若い精神科の女医が中年女性患者にいれこみ、挙げ句の果てに患者の故郷のアイスランドまでおっかける、というお話。共依存というよりも、フランス女医版『ブラックジャックによろしく』といったほうがよろしかろう。テレビで妻夫木聡が『ブラックジャック。。。』をやってた頃に公開されていたら、それにからめての宣伝もありだったかもしれない。だが、舞台が寒い寒い冬のアイスランドのせいか『ブラックジャック。。。』みたいな爽やかさはない。主人公の二人の関係は女医の思いこみのほうが強く描かれている。これを共依存というのかはよくわからん。

患者役のディッダ・ヨンスドッティルがすごい。口をきかない精神に異常をきたした女性そのもの。いったいこれはノンフィクションなのか、と思うほど。が、女医のエロディ・ブシェーズ が女優然としていて、迫力がないため、フィクションとわかる。衣装はお洒落でかわいいんだが、ここにかわいいをもってくるのは違うだろう。ディッダ・ヨンスドッティルは案の定、本職の女優さんではなく本業はアイスランドの詩人。彼女の熱演によって、人が生きる上での生きにくさをとりあげた映画としては成功している。


陽のあたる場所から
監督:ソルヴェイグ・アンスパック
フランス=アイスランド=ベルギー 2003年
http://www.bitters.co.jp/hinoataru/index.html
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2004年12月12日

『シルヴィア』ありがちな煮詰まり夫婦かも

夫にのめり込んで精神のバランスを崩す妻と、そんな妻から逃げるように浮気に走る夫。私の周りにも一歩手前の夫婦がいたりする。ありがちなカップルである。
ここで妻はピュリッツアー賞作家のシルヴィア・プラス、夫は桂冠詩人テッド・ヒューズ。文才が認められた美男美女だから、始末に悪くて映画になってしまったりする。

シルヴィアの生年は1932年。1963年にオーブンに頭をつっこんでガス自殺している。世に認められた夫と二人の子供とイギリスの田舎での生活、なんてのに満足できないところが創造の原動力になっているわけなんだけど、作品が認められたのは死後のこと。映画から読みとれる物語からは、彼女が生前幸福感を感じていたのはほんのわずかな時間であったとしか思えない。

「常に自分が不満なの」ってところから生み出される作品は人々の心を動かす力を持つ。が、常に満たされないものをかかえている当人は疲弊する。そうやって自分を世に問いかけている人ってのは、有名無名および手段を問わず実に沢山いる。映画になるまでの作品を残すようならば、端から見ていてまだ救いがあるが、たどり着く以前に倒れてしまう人も大勢いる。
そのへん実生活でそれなりにみているうちに、凡庸でも手の届く範囲で問うていきたいと思うようになったのは年を経て人間丸くなったということか、と個人的感慨を少々。

主演はグウィネス・パルトロウ。シルヴィアの学生時代はどこがいいのかよくわかんないが、結婚後の狂気がはいる時代ではぐっと魅力を増して美しくなる。嫉妬にまみれて客をもてなしたり、編集者を誘惑しようとしたり、アパートの管理人に父親を求めてみたりの変化ぶりが様になっている。にもかかわらず、作品として今ひとつこぢんまりとした印象なのは、芸術家としての姿よりも結婚生活に悩む普通の女の姿を強調した脚本のためか。

ここのところ欧米系映画では女性伝記ものが目につく。思い当たるだけでも『ヴェロニカ・ゲリン』、『フリーダ』、『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』など。主演女優の熱演故の佳作が多い。


『シルヴィア』
監督:クリスティン・ジェフズ (2003年 イギリス・アメリカ)
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2004年11月24日

『柔道龍虎榜』日本での公開おそらく未定のところになんですが

平日昼間、お仕事を抜け出して東京フィルメックスへ。『柔道龍虎榜』、月曜夜のチケットがとれなかったんで本日昼に鑑賞。月曜のチケットはあっという間に売り切れたとか。監督はジョニー・トー(杜[王其]峰) だし、出演者にルイス・クー、あーろん、こはる、カーファイとくれば、傑作を期待するのが香港電影迷というもの。

なのに、なんでこうなるのやら。なんで柔道なのか。黒社会がでてくるのか。タレント志望の女の子を登場させる必然性はどこにあるのか。結局なんなのやら。柔道を素材にした目の付け所は悪くないのに消化できてない。黒澤明でなくってアテネオリンピックに触発されて3日でつくったんと違うか、とつっこみたくなったのは私だけか。香港公開は7月8日ということなんでさすがにそれはないはず。

そうか、ジョニー・トーっていうんで『ザ・ミッション 非情の掟』とか『暗戦 デッド・エンド』を期待した私が悪かった。そういえばジョニー・トーってイーキンがマジシャンになる『暗戦 リターンズ』なんてのも撮ってたし。
純粋に香港オバカ映画として見れば、夜の路上でみんなでスーツ着て組み手やってたりして楽しい。あーろんの髪型はマンガチックだし。黒澤明の『姿三四郎』を見た上で見ればそれなりに見所満載なのかもしれないし。
でも、この作品をひっさげて「香港映画最前線~鬼才ジョニー・トーの映画術」って、いいのか。


『柔道龍虎榜』
監督:ジョニー・トー(杜[王其]峰) 香港 2004年
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2004年11月19日

『恋愛回遊魚』つまんない、というよりも難解

つまんない、というよりも難解な映画。話の流れを追うために画面をずっとみている必要がある。話がとぶが故に宙に足がつかないような雰囲気に仕上がっているし、ちょっとした小物やエピソードが妙に浮き出して洒落てみえたりするんで、こういうのがお好みの方にはよろしかろうが。

三十前の台湾大学医学部卒のプータローとテレビCMに出演するくらいのレズの美少女女子高生の不思議な関係なんだが、これは恋愛なのかなんなのか。よくわかんないうちに主役の男は清掃車にぶつかって倒れていて、美少女はバスにのって別れの手紙を書いている。

主役の男は妙に首が長くてだらしないん風貌なんだが、途中ブランドものの衣装で固めてあらわれるとそれなりにきまってみえるのがおかしい。演じているのは『藍色夏恋』のイー・ツーイェン監督なのだった。『藍色夏恋』メイキングにでてくる姿とは体格が完全にちがっていて、別人にしかおもえないが。音楽が極端に少ないこと、レズを自称する女子高生などは、『藍色夏恋』につながる。

なんで台湾の映像作品って映画とテレビドラマでこんなにテイストが違うのか。映画は完全にお芸術の世界にいっている。どの作品も監督や撮影のこだわり満載。画面はいつも淡くぼんやりしていて懐かしい感じ。音楽もほとんど使われない。同じお洒落系難解映画でも香港の王家衛による『恋する惑星』や『天使の涙』が大成功したのは、音楽の使い方がポップなことが理由のひとつであろうと、本作や一連の台湾映画を見ることによって思い至る。

対して『流星花園』以降のテレビドラマはわかりやすいエンターテイメントを突っ走っているらしい。画面はすっきりはっきり。映画界とテレビ界で映像関係者の行き来はないのか。日本で公開される台湾映画に偏りがあるだけなのか。どうでもいいけど、謎。


『恋愛回遊魚』
監督:ウー・ミーセン 2000年 台湾
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2004年11月18日

『藍色夏恋』清く正しく美しく

女の子二人、男の子一人の完全な三角関係である。制服姿の清く正しい青少年の恋愛が描かれる。
台湾映画らしい青春映画だ。メイキングで監督は台湾映画の重くて暗いイメージを払拭したかった、といっているが、明るい感じはあまりない。暗い、ということはないんだけど切なさが強調されて、それがどこか寂しさにつながる。淡い色彩、台北の街と海辺の街、ありがちなモチーフが印象に残る。音楽もほとんど使われず、セリフも少ない。

主役の男の子(チェン・ポーリン)、女の子(グイ・ルンメイ、リャン・シューホイ)がみずみずしくて可愛い。特に、グイ・ルンメイ(桂綸[金美])。やせっぽちでどこにでもいそうなんだけど、画面での表情がいい。ショートカットで大きな目で無愛想なのが可愛いのだ。チェン・ポーリン(陳柏霖)はどこにでもいそうな等身大の男の子が、ちょっと格好良くなった感じ。台湾で人気なのは本作を観て納得できる。

カンヌで大好評だったとのことだが、おうちでDVDとしてみるのには少々退屈。映画館でぼーっとスクリーンを眺めるにはいいのかもしれない。DVDの特典映像は、映画をスクリーンで観て気に入った人ならば見る価値あり。

主人公の彼らの年頃に観たら、また違った印象を持ったかもしれないな、と。


『藍色夏恋』(藍色大門/BLUE GATE CROSSING)
監督:イー・ツーイェン (2002年 台湾)
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2004年11月17日

『オールド・ボーイ』容赦ない韓国の映画

出来映えのよい映画だ。チェ・ミンシクの熱演ぶりは、あり得ない設定をくつがえす。背中にナイフが刺さっていようと敵をぶちのめし、戦いつづけるのだ。カン・ヘジョンも、体当たりというにふさわしい演技をみせる。場面によってメークをがらりと替える彼女は、チェ・ミンシクを慕う謎めいた女の子の不思議な雰囲気にぴたりとはまる。敵はユ・ジテ。『アタック・ザ・ガスステーション』でセリフが少ないながらも存在感があった男前は、出番が少ないながらもきちんと役をわきまえた仕事をする。
全体の構成もひとつひとつの場面も計算されている。無駄がまったくない。どうして、彼は15年も監禁されていたのか。観客は最後まで、「謎」につきあうことになる。終盤の謎解きは、すこしずつ進む。そして新たな謎が問いかけられる。人がそれほど沢山死ぬ話ではないにもかかわらず、重い。
凝った作りの映画らしい映画であり、サスペンスとしての展開も上等である。

が、あまりにも救いようがない。終映後「なんかねぇ」。というつぶやきにも似た会話がちらほらきかれた。

容赦のなさがこの映画にはある。この感覚はおなじ韓国映画の『カル』や『リベラ・メ』などと同質であり、韓国映画しかもたらせえない類のものだ。
個人的趣味とは、どうも相容れない。許容範囲外なのだ。ことばにしてしまうと、げんなりする、ということになる。もっとも平気な人、もしくはこういったものを好む人もいるかもしれない。もちろん隣の国の文化を楽しんだり応援することは当たり前、しかるべきことだ。作品に対する個人の感性の問題。

どことなくヌルい香港や台湾の映画が正直、性に合う。韓流に、いまいちのれない理由はこのあたりにあるのだろう。といいつつ部屋にイ・ビョンホン氏の写真集があるのは何故。


『オールド・ボーイ』
監督:パク・チャヌク (韓国 2004年)
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2004年11月16日

SARSに負けるな『1:99電影行動』

昨年の春、香港はSARSの流行で大きな痛手をうけた。
香港電影工作者總會が企画した、SARSに沈む香港社会を励ますことを目的にしたキャンペーンフィルム集である。本編より長いメイキングがはいっており、冒頭をエリック・ツァンによる香港電影金像賞授賞式の司会のことばが飾る。
「イラクでの戦争、レスリー・チャンの死、SARS、、世界に暗雲がたちこめた。司会は勘弁してくれ、と大会実行委員長に電話した。そんなとき、SARS感染から生還した医師が仲間の医師に協力を要請し医療現場に戻る姿があった。後戻りはできない。式典を決行します」(要約)。
社会が困難に立ち向かっているとき、それぞれが自分の仕事をやりとげることの大切さを伝えるスピーチは感動的であり、本作品集の意図を十二分に伝える。街が伝染病に見舞われるというのがどれほど大変なことか、にもかかわらず立ち向かう香港の人たちの意気込みが、この作品集から伝わってくる。

15人の監督による11編のショートフィルムがおさめられている。香港映画好きならば、あの作品を撮った人、とすぐ頭に浮かぶ監督たちである。出演者も香港映画を代表する役者が揃う。アンディ・ラウ、アーロン・クオック、ジジ・リョン、サミー・チェン、サム・リー、アンソニー・ウォン、トニー・レオン等々列記していくときりがない。それぞれわずかな時間ながらも、「がんばれ香港、SARSに負けるな」をテーマに、各監督の個性が発揮されている。

日本では、韓国映画におされて香港映画の公開本数が減ったことが報道されている。が、本作品集は、香港映画の底力を確信させる。芸術色濃い文芸映画に、カンフー・アクション映画、ラブストーリー、香港ノワール、と現在の香港映画は間口が広く、多彩なんである。
『1:99電影行動』は香港の映画でメシを食う人たちの社会貢献へのアピールであり、香港の歴史も踏まえた社会的で有意義な作品集である。このような商業色の薄い地道な作品が日本語字幕つきDVDになってレンタルで視聴できるんだから、香港映画はなんだかんだいっても日本で愛され続けているのである。


『1:99電影行動』
監督:杜[王其]峯・韋家輝・陳果・徐克・周星馳・陳可辛・馬偉豪・陳徳森・劉偉強・麥兆輝・羅啓鋭・張婉[女亭]・林超賢・謝立文(2003年 香港)
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2004年11月11日

『錦繍前程』(レオン・カーファイの恋はあせらず)

日本のDVDには『レスリー・チャンの恋はあせらず』とすごいタイトルがついているが、中国語タイトルは『錦繍前程』である。レスリー・チャンとレオン・カーファイの友情コメディで、レスリーは嘘つきサラリーマン、カーファイは老人ホームでバイトする音楽家志望青年なのである。ほかにロザムンド・クヮン、マイケル・ウォン、ウォン・ジーワーらが出演している。日本ではカーファイよりもレスリーのほうが知名度が高くファンも多いため、こんな邦題がついてしまったのであろう。

ストーリーはわかりやすい。背広に眼鏡のレスリー扮するロンが会社をクビになって女にも振られて、カーファイ扮するホイら友人たちに迷惑をかけまくる。ロンもホイも友人たちもお金持ちではなさそうだけど、友達がいて気ままに生きていて、楽しそうでよろしい。ロンもホイもダメ男っぽいけど憎めない。

カーファイがのびのびしていてよろしい。カーファイってエラがはってて好みが分かれる顔立ちをしているが、ガタイがよくって個性的なんである。心優しいフリーター役がはまっている。気どりのない役柄だが、カーファイ演じるが故、優しい大人の男でもあったりする。
対して、ずっと背広姿のレスリーである。しかし、レスリーに庶民的な役柄、似合うとは思えないんだが如何だろうか。もっとも、迷にとっては「かわいい~」といったところかもしれないが。私もレスリーとなるとちょっと平静ではいられなくなる口だが、うむ。ま、こういうレスリーもあり、か。
ちなみにレスリーは『恋戦 OKINAWA』といい、カーファイと組むと子供っぽくみえる。ええい、言ってしまえ、「とっつぁん坊や」と。カーファイが大人だから、というよりも監督の演出のせいか。『恋戦 OKINAWA』と同じ監督なのだった。

レスリーよりもカーファイをみる映画。日本では劇場未公開。土地転がしビジネス、老人ホームなどは香港ならではの設定であり、駄作ではないんだけど、映画としてはもう一ひねり、スパイスが欲しいところ。


『錦繍前程』
(監督:ゴードン・チャン 1994年 香港)
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2004年11月10日

『2046』について少々

いまさら『2046』なのであった。一回見ただけでどうこういえる作品ではないが、少々。
芸術性は高いことは誰しも認めるところであろうものの、好みがわかれる作品であることは間違いない。トニー・レオン扮する女遊びを得意とする文筆家が主人公なのはいいが、時間軸がやたらととぶから話がみえない。登場人物たちの評価も、観客ごとに異なるであろう。豪華キャストの抽象的な作品である。

王家衛作品を見続けてきて、王家衛的世界が好きな人にとっては好感が持てる作品だ。なにしろ『花様年華』『欲望の翼』『天使の涙』『恋する惑星』『ブエノスアイレス』あたりがごっちゃになったような映画である。冒頭のSFチックな映像には、そうきたか、と思わせられた。しかし中盤から後半にかけて、だれてくる。
女たちは美しい。特にアンドロイドになった女たち。SF映画ではよくある設定であるが、王家衛、ウィリアム・チョン、クリストファー・ドイル(本作品では撮影というより撮影監督らしい)ら『天使の涙』チームならではのアンドロイドっぷりである。カレン・モクのぶっとび金髪女が頭に浮かぶ。ただ、もっと各人の個性があってもいいのでないか。
好みは人それぞれだろうが、私の好みはフェイ・ウォン。歌手が本業であり演技にそれほど力をいれているとは思えない彼女だが、王家衛の映画にはその固さが妙にはまる。チャン・ツィイーは見所満載。かーりんのご登場は『欲望の翼』好きにはたまらない。コン・リーもさいごにでてくる。マギー・チャンはあくまでもゲスト。ドン・ジェは印象に残らなかった。豪華な顔ぶれであるが、チャン・ツィイーとドン・ジェの二人の若手以外はすでにこの監督の作品に出演済みなのであった。
男優陣は女優陣とくらべると、物足りない。トニーさんは、あちこちで褒められてるが、要はスケベ親父ではないか。余裕ありすぎと思うのは私だけか。キムラ氏は、面長で目の表情などがどことなくトニーさんに似ているが故に起用されたと思われる。チャン・チェンは、いたっけ? といった程度しかでていない。
王家衛もすっかり巨匠である。初期のころにあった青さはすっかり抜けてしまって、なんだかもう、一緒に歳とっていこうよ、といった感じの作品が続く。大陸の大家たちみたいに落ち着いてほしくはないんだが、仕方があるまい。次作もトニーさん主演らしいし。『2046』では、それなりに新しいものをとりいれようと、昔のロードムービーっぽい感覚をだそうと試みたんではないか、とも思える。

理由は何であれ、アジア圏の映画がつぎつぎと日本で注目を集めている。わるいこっちゃないだろう。カンヌの権威に弱いんでも話題先行でもよかろう。


『2046』
(監督:ウォン・カーウァイ 2004年 香港)
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2004年11月08日

『花より男子』(日本映画 1995)

コミック『花より男子』の日本での実写版である。1995年の作品。劇場映画で78分にまとめられている。当時、かなり話題になったことを記憶しているが、いましがたようやくビデオで見終わったのであった。

内田有紀主演のB級アイドル映画である。こういうチープなテイストがたまらん人にはよろしかろうが、普通にみると、かなりつらい。内田有紀は原作と違ってショートカットだけど可愛いから許す。しかし、最後のカットはもうちょっといい表情の絵にしてやれなかったのか。
悲しいのはF4だ。金持ちにはみえないし、4人がオープンカーに乗って登場したり道明寺が裸に派手派手チョッキででてきたり。妙なところで原作に忠実で、道明寺はおもいっきりアホっぽい。ラストシーンでよくみるとハンサムなのに。谷原章介という役者さんで、現在も活躍中らしい。花沢類は藤木直人。類は難しい役どころだが、藤木直人は顔でカバーしている。演技についてはなにもいうまい。
美作と西門が全く描けていない、二人ともちょい役で、どっちがどっちかわからないどころか、その他大勢にとけ込んでしまっている。
女の子向けのコミックを、美少女アイドル映画にしたんだからムリがある、1時間ちょっとの映画での表現には制約がある、とはいうものの、コミックとは別の作品としてみるにしてもなんだか中途半端な作品。藤原紀香嬢映画初出演作として、歴史に残る一本ではあるようだが。

台湾ドラマ版が成功したのは、やっぱりF4の功績だ、と改めて思うのであった。主役の道明寺はアホなだけじゃだめなんである。もともと女の子向けのコミックなんだから、いい男に描かないと。類は仔仔のほうが上手いかも。というか、仔仔のほうがちゃんと演出してもらっている。美作と西門の描き方も重要。4人揃って、その他大勢よりも背が高くてガタイのいい男子で大正解。
また、設定を中途半端にせず、4人を徹底的なお金持ちにしたり、台湾の庶民的な町並みをほとんど使わなかったのも、ドラマの非現実性を高めている。日本版はそのあたりハンパであるが故にチープなんである。

台湾版の制作者は、当然日本での実写版を参考にしていると思われる。舞台となる大学の雰囲気、かなり似ている。台湾版では日本実写版にあちこちダメだしして反面教師にしてるんではなかろうか。監督、制作者の功績も大きい。

素材が同じでも、料理の仕方で見事に味わいが違う好例。


『花より男子』
(監督:楠田泰之 日本 1995年)
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2004年11月05日

『向左走・向右走 (Turn Left, Turn Right)』ターンレフト・ターンライト

ジョニー・トー〈杜[王其]峰〉のラブコメである。ジョニー・トーといえば、『暗戦 デッド・エンド』に『ザ・ミッション  非情の掟』と、ハードボイルドな男の世界をカッコよく描く監督だ。それが、金城武クンとジジ・リョン(梁詠●)のラブストーリーである。

これがまた、かわいいんである。好きあっているのに、いつまでも出会えない二人。いろんなところですれ違っているのに、部屋さえも隣なのに、本人たちは気がついていない。あり得ない、あほらしい、といってしまえばそれまでの話なのだが、観ていてつい、はらはらしてしまう。
脚本がしっかりしているんである。主役の二人にはそれぞれおじゃま虫がくっつくのだが、その絡み方もよろしい。しかし、冒頭で金城君を誘惑しようとする怖いおねえさんには全く意味がない。

主演の二人はいうまでもなく美男美女。金城君はバイオリン弾き。バイオリンを弾く男というと、つい『流星花園』の花沢類を思い出すが、バイオリンは中華圏美青年のキーアイテムのようだ。ジジ・リョンは『烈火戦車』でアンディ・ラウの相手役としてみたのが最初。烈火戦車が1995年の作品だから、もう10年近く売れっ子なわけで、でもまだ28歳で、立派なもん。日本でも『再見 またあう日まで』がヒットしたし。イーキンとは長いし。こういう甘いラブストーリーの主役にぴったりはまる。可愛い格好で登場するんだけど、その長いマフラー、危なくないか?

舞台は台北。主人公二人の部屋が広くてお洒落で、貧乏とはとてもいえないのは仕方ない。台北の街の描き方がさりげなくていい。『流星花園』みたいにトレンディスポットで固めず、かといって『夢遊ハワイ』ほど泥臭くもなく。ナチュラルでお洒落におさえている。

原作は台湾の絵本。中華圏でのベストセラーということ。雰囲気がわかるサイトはこちら。日本でも出版されているがあまり話題にならなかったような。ほんわかした雰囲気が映画に活かされていることに納得する。
ずっとあきらめずに思っていれば縁は必ずある。たとえ邪魔するものがあったとしても二人は出会うことができる。ジョニー・トーのラブストーリー、隙はあれども、恋に前向きになれる小品に仕上がっている。

レディース・デーの午後の回に鑑賞。映画館には金城君目当てと思われる女性が列をなしていた。


『ターンレフト・ターンライト』
原題 向左走・向右走 (Turn Left, Turn Right)
監督:ジョニー・トー (香港 2003年)
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2004年11月04日

『インファナル・アフェア 無間序曲』 パートIIからみるのもおすすめ

黒社会(マフィア)で生きる潜入捜査官と、警官として生きる黒社会構成員。黒社会と警察の攻防の中、ともにスパイとして敵地で信頼を得ながら働いている二人の男。なんともややこしい事態である。多くのものを失いながら、誰のために生きているのか。苦悩する二人をアンディー・ラウ(劉徳華)とトニー・レオン(梁朝偉)が演じた第1部が日本で公開されたのは2003年のこと。

本作はその第二部である。物語は過去にさかのぼる。二人の潜入者には、アンディー・ラウとトニー・レオンの若き日の姿として前作に登場した、ショーン・ユーとエディソン・チャンが起用されている。が、この二人の比重はそれほど大きくない。アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、フランシス・ン、ロイ・チョンそしてカリーナ・ラウら香港映画ではおなじみの渋めの大御所たちが物語を進めていく。無間道は大人の世界なんである。

よって、安心してみていられる香港ノワールの世界が繰り広げられる。かといって、マンネリ感もない。『藍宇』でおなじみの中国俳優フー・ジュンが重要な役どころで登場したり、カリーナ・ラウが芯のとおった姉御っぷりをみせたり、キャスティングと脚本のバランスもよい。
二人の若手の見せ場が効果的。キャリアも知名度もあって癖の強い俳優たちのなかで、よく健闘している。物語が複雑なためとまだ二人とも役者としての癖がついていないため、いまいちどっちがどっちなのか区別がつかなくなったりもするが。
どちらかというと、ショーン・ユーのほうが印象が強い。警官の制服よりも、黒社会の派手な格好のほうが個性をだしやすい、ということもあろうが。エディソン・チャンは、出演作を何本かみているのだが、育ちがよすぎる感があり荒っぽい役どころにはそぐわないと思うのは私だけか。

フランシス・ン、というよりン・ジャンユーといったほうがしっくりくるのだが、この人はでる作品ごとに印象がちがう。悪役やら黒社会の人役は得意の人だが、今回は眼鏡をかけたインテリ風の黒社会のボスとしてご登場。誰かと思った。
逆にエリック・ツァンは、エリック・ツァンにしか見えないが、この人はこれでよろしい。アンソニーは独自の渋さをかもしだしているし、メインキャスト紅一点のかーりんは格好いいし。

トニーとアンディが中心だったIとは別の作品として鑑賞できる。かつ、ちゃんと3部作のうちのひとつとして話もつながっている。IIをみてからIをみてもいいようにできているのはお見事。アンドリュー・ラウのお仕事でも、おなじ連作『古惑仔』よりもはるかに緻密であり、その進化がうかがえる。もっとも『古惑仔』はあれはあれで、よろしいんですが。無間道もそのうち外伝なんかでてきたりするかもしれないが、折角なのでこのまま渋くキメてほしい。

なお、エンドロールのあとでIIIの予告がながれ、これは必見。これまた無茶苦茶楽しみなキャスティング。香港では今年の12月から公開とか。なお香港のサイトはこちら

新宿は歌舞伎町の映画館街で鑑賞。香港ノワールものをここでみると、日本で観ているにもかかわらず、映画館をでてからもしばらく気分がつづいてたいへん楽しい。こわい、という意見もあるようですが。


インファナル・アフェア 無間序曲
監督:アンドリュー・ラウ (香港 2003年)
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2004年11月02日

『夢遊ハワイ』(「台湾映画と日本」・台湾映画上映会)

『夢遊ハワイ』が上映されるというので早稲田大学に足を伸ばす。東京国際映画祭で上映された作品である。

話を進めるのは兵役中の少年、といっていいくらいの若者二人。頭のおかしいふとっちょの後輩が脱走し、退役を間近に控えた二人が探しにいくことになる。みんな女の子が気になるお年頃。脱走したふとっちょは雑誌のモデルを彼女だと思いこみ、彼を追う一人は見知らぬ女の子を口説く趣味があり、もう一人は小学校の時の憧れの女の子を捜す。

やや暗めの画面。内省的でのどかな、田舎を舞台にした台湾映画らしい台湾映画である。なんということのない、若者成長物語なのだが、兵役という台湾の若者独自の事情を背景に上手につかっている。若いいちばん充実した時期の退屈な時間。美しい映像をみせている。水色に光るガードレールがきれい。

主演の男の子はトニー・ヤン(楊祐寧)とホワン・ホンセン(黄鴻升)。二人とも台湾のトップアイドルだが演技経験はそれほど多くはない、という。男性アイドルグループ花盛りの台湾だがホワン・ホンセンは『丸子』というユニットにいるらしい。短髪の台湾アイドルって、新鮮。二人ともハンサムだが個性を描きわけているってわけでもないんで、どっちがどっちの役だったか、いまひとつ区別がついていなかったりする。映画としては、どっちでもいいのかも。

若者映画ということで、先日観た『狂放』とつい、比較してしまうが、作品として成功しているのは本作品のほう。ストーリーに無理はあるが、物語に広がりがある。ホワン・ホンセンは『狂放』にも主演しているが、『夢遊ハワイ』でのほうがのびのびしてかわいらしい。役柄故、というよりも監督の撮り方にもその理由があるようだ。監督は演技経験の浅い役者たちに、自由に演技をさせて、編集していったという。これは現在の台湾でよく使われる手法とのこと。監督のキャリア故か。

そうはいってもこの作品も観る人を選ぶ映画だろう。台湾映画独特の芸術性が強いんである。台湾映画を見慣れていない人には90分がつらいかもしれない。日本での公開は決まっていない、という。
台湾での一般公開はこれから、ということだがトップアイドルが芸術映画にでることの効果というか反響が気になる。
トニー・ヤンについては、ポップアジア53号によると『十七歳的天空』の日本公開が予定されているらしい。台湾で大受けした十代のゲイ・コメディで、シンガポールでは上映禁止になったとか。テーマソングも軽やかで、とっても気になる1本

シュー・フーチュン監督と『時の流れの中で』のチェン・ウェン・タン監督が来場しており、観客からのQ&Aもあった。台湾の兵役のことなど、台湾に関するややかためのディスカッションが多かった。娯楽としてよりも文化としてみる映画という雰囲気だったが、これも悪くない。何故ハワイなのか、というとどうやら監督の憧れの場所らしい。撮影場所は台東ということ。
早稲田大学台湾研究所の主催。大衆文化の映画をアカデミズムに持ち込むのはなかなか大変でしょうが、よい企画です。これからもがんばってください。


『夢遊ハワイ』
(監督:シュー・フーチュン 2004年)
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2004年10月31日

『カンフー・ハッスル』舞台挨拶付き(東京国際映画祭)

雨の渋谷でしたが、映画祭は続いています。
さて、特別招待作品の『カンフー・ハッスル』、来年早々に日本でも劇場公開するということで、無理してみることもないかなぁ、と思った。が、周星馳の舞台挨拶つきというんで、一般発売初日にチケット確保。3分で完売というニュースがでてましたが、そこまででもなかったような。

文化革命前の中国。どことなく『上海灘』を思い出させる街並みや、かの九龍城を連想させる雑居アパートが舞台となるが、セットがどことなく安っぽいのが、らしくてよろしい。
ストーリーの詳細は、これから観る人がいらっしゃることなので、省略する。はじまってしばらくは地味でややたるいが、後半は星馳節が炸裂する。派手なアクションと馬鹿馬鹿しい特撮のてんこ盛り、脇にはほろっとさせられる清楚なラブストーリー。単純に、楽しめて、あとに残らない。お子様にも安心して勧められる。
主演なのに星馳の出番が少なかったのは、たぶん俳優よりも監督や脚本、制作に集中したかったためと思われる。ナンセンス・カンフー映画なので、日本でも一般うけすることは間違いないが、俳優・周星馳が動いているのをみるのが好きな迷には、物足りないかもしれない。

舞台挨拶の周星馳は、監督・周星馳だった。3階からも、緊張していることがわかった。受け答えも実直で真面目。「これからも皆さんの期待に応える作品をつくっていきたい」とか謙虚なのだ。サービス精神は言葉ではなく、大勢が舞台にならんでパフォーマンスをやることと衣装で発揮。スクリーンの中で広東語を早口でまくしたてて表情豊かに馬鹿やって人をこづいたりしている、よく見るとかなりの男前の周星馳とは異なった。役者がスクリーンで演じる姿って、やっぱり幻影なのである。司会のおねえさんは「かわいい」とかいってたが、立派なおじさまである。映画監督って、それも成功してしまった監督って、大変なのねぇ。

日本で香港映画というとカンフーや少林寺をテーマにしたものが大きく取り上げられて大手の配給ルートにのる。動きが派手なのと、従来のイメージに沿ったものだからだろう。周星馳の作品でも『食神』など、日本でも公開されているのだが、『少林サッカー』ほど大々的に取り上げられなかった。言葉の細部がわからなくったって十分面白いのになぁ。その点、『カンフー・ハッスル』は売れ線をハズしていない。

私は3階席で鑑賞したが、2階、3階とも空席がけっこうあった。足下も悪いことだしチケットとったもののいかなかった人もいるのだろうが、勿体ない。観たくても観れなかった人も大勢いたと思われるのに。スクリーンがみにくくなるためわざと人をいれてない席もあるのかもしれないが、舞台挨拶つきだったら、なおのこと、見たい人は一人でも見えるようにしたほうがよいように思えるのは素人考えか。

会場が六本木と渋谷にわかれていること、ちらちらと人様のBLOGをみると不評である。六本木ヒルズ、会場の雰囲気としてはいいのだが。JRや地下鉄だと渋谷と六本木は行き来しにくい。車で移動する分には近くて便利。六本木ヒルズー渋谷間はバスが運行しているのだが、これは無料配布しているパンフレットに大きく書かないと気がつかない人もいるかもしれない。
東京国際映画祭は、一般にも大きく宣伝しているにもかかわらず、マスコミや映画関係者以外の観客に対しては、残念ながらちょっと冷たいんではないか、と思ったりもする。チケットがとりにくかったり、行ってみれば空席があったりということも含めて。映画でごはんを食べている人中心なのは当然とはいうものの、大々的な広報からつい運営にまで期待しすぎてしまう普通の映画好きとしてはやや寂しい。チケットの値段は良心的だし、内容的にはラインナップはいいし豪華ゲストを生で見ることができたりして、文句ないのだが。


『カンフー・ハッスル』
監督:周星馳(香港 2004年)
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2004年10月29日

『 狂放』(東京国際映画祭)

東京国際映画祭が続いています。本日は日中の渋谷に行ってきました。『狂放』という台湾映画です。以下、とっても辛口なんで、明日の上映、もしくはどこかでこれから観る方は観てからお読みくださることをおすすめします。

高校卒業して、なんとなくぷらぷらしている台湾の若者たちのおはなし。刺青いれたりクラブで踊ったり。大学に行っている子もいるけれども。画面も暗めで、久しぶりに映画を観ていて眠くなった。主要な登場人物が男の子2人女の子1人の3人なのか、あともう一人の女の子もいれて4人なのかもよくわかんなかった。男の子ふたり、女の子ふたり、それぞれの区別もつかなかった。男の子同士、女の子同士で同性愛やってるってことはわかるんだけど、だから? ってかんじ。それなりに物語はあるみたいなんだけど、過程が省略されているから、ラストもなんでこうなるのか、さっぱりわからんのである。

私は結構あちこちでほめられていたイラン映画『ブラック・ボード -背負う人-』を映画館で観て爆睡した感性の持ち主である。タイトルど忘れしたが結構評判だった香港のインディーズ映画も眠かった。なので、観客に問題があると片づけていただいてもいいのだが、台湾の現代風俗を描いた映画を日本人の観客がみているから、ということもあるような気がする。日本には高校卒業してうだうだしている若者なんて、何年も前から掃いて捨てるほどいて格段珍しいことではない。
日本には彼らを主人公にした、地味めの秀作映画も多い。なので、この作品に描かれた若者たちは、どうもパンチ不足なのだ。大学受験に熱をいれ、台北の駅前に予備校が乱立している台湾ではエッジな部類の若者なのかもしれないけど。
日本以外のアジア圏のここ数年のうだうだ系若者を描いた映画としては香港のフルーツ・チャンの『メイド・イン・ホンコン』がまず思い出されるが、この作品にあるような時代背景や場面の作り方からくる切なさも感じられなかった。

なにか言いたいことがあるってのはわかる。過程の省略も意味のあることかもしれないし、プロットの構成とか、場面の切り替えとか、工夫しているのはわかるから手厳しいことをいうのは酷ではあるのだが。


『狂放』
監督:レスト・チェン (2004年 台湾)
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2004年10月28日

『スゥイングガールズ』は『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ

のっけからなんなのだが『スゥイングガールズ』は矢口史靖監督による『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ作品である。

題材は違えど、コンセプトはまったく同じ。構成も展開もまとめ方も同じ。ボーイズをみた人にむけて、あえておんなじにしているんでしょう、監督、と声をかけたくなる。夏のボーイズに対して、冬のガールズを意識してみたり。女の子たちはがんばっているけど、主演の上野樹里ちゃんまで印象が薄いのは、この映画が監督のための作品だから。

ボーイズ同様、ガールズも健康的で楽しい作品に仕上がっている。途中のいろんなエピソードは、もうおかしくて仕方がない。映画館では何度も爆笑の渦がおきる。この監督らしいベタなウケ狙いは成功している。

なので、ボーイズのテイストを気に入った者にはたまらない作品である。矢口史靖の世界では、地味でマジメな普通の子の青春という側面はハズせない。『アドレナリンドライブ』や『パルコフィクション』も含めて。これはたぶん、八十年代以降に高校生だった人たちにはなんとなく共感できる感覚だろう。とりたてて何が不満ってことはないんだけど、なんとなくもやもやした感じ。目立ちたいとか世の中に対してなにかしたいっていうんじゃないけど、ちょっともの足りない、みたいな。
レディースデーの水曜日、日比谷シャンテ・シネは満員。


スゥイング・ガールズ
監督:矢口史靖 (2004年 日本)
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2004年10月26日

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』

東京国際映画祭です。六本木ヒルズって、いくたびに砂上の楼閣という言葉が頭に浮かぶんですが、世界から俳優女優監督プロデューサーそのほか関係者がやってくる映画祭の雰囲気と一致しています。あちこちにはられたポスターが気持ちいい。映画は一瞬の夢を見る娯楽だもんね。さて、本日は『ライス・ラプソディー』(海南鶏飯)という作品をみてきました。

主人公はシンガポール一の海南鶏飯屋さんの女主人のお母さん。海南鶏飯とはシンガポール名物のチキンライスのことである。3人のお年頃の息子がいるがどうも3人ともゲイらしい。お母さんとしては、せめて高校生の三男だけでも女性と結婚して孫を見せてくれないか、と考えるわけだが、さていかに、というおはなし。フランス人の女の子をホームステイさせたり、彼女に惚れてる近所のおじさんが海南鴨飯を開業したり、魅力的な登場人物たちが物語を賑やかに展開していく。脇役となる長男、次男の恋の進展も楽しい。
同性愛を扱った映画には見応えがある佳作が多い。愛情に対して繊細に向き合わざるを得ないからだろう。この作品も例外ではない。ゲイをテーマにしたほかの作品のほとんどが当事者を主人公にしているのに対して、この作品は、ゲイの息子をもつ母親を主人公にしているところが斬新で、そしてその設定は成功している。決して頭の固い母親ではない。でも母親としての希望や我だってある。息子たちを愛する現代的な母親だ。この母親をシルビア・チャンが熱演している。
舞台がシンガポールというのもいい。登場人物たちは英語と北京語を話す。自転車、水、と、熱帯の都会・シンガポールに似合うモチーフが効果的に使われていて、アーティスティックな映像も嫌みになっていない。音楽は日本の川崎真弘。
今日的なテーマを真面目に扱っているのに、軽やかで見終わったあとも爽やか。派手な作品ではないが、マニアックすぎる作品でもない。これから、Bunkamuraや岩波ホールなどで上映される可能性は大きい。『女人・四十』がいけたんだから、これもいけるはず。コンペティション部門ということだが、かなりいい線いくだろう。映画祭らしい映画でもある。

と、ベタ褒めしていますが、上映後のティーチ・インが楽しかったことも好印象の所以です。監督のケネス・ビィ、主演のシルビア・チャンにマーティン・ヤン、音楽の川崎真弘にエグゼクティブ・プロデューサーのロサ・リーと豪華な顔ぶれ。司会の紹介の前にみんなで前にでてきてしまったり、なごやかな雰囲気でした。
ケネス・ビィはまだ30代でしょうか。ちょっとWEBをひいたら、かのフルーツ・チャンの『花火降る夏』の音楽やってたとかで、映像感覚に納得しました。英語と北京語のセリフの書き分けをどうやって決めたのかについては、あんまし意識していなかったらしい。
作品タイトルについては人それぞれ意見があるようですが、私としては中国語タイトル、英語タイトルともこれでよいと思う。英語タイトルはたしかにわかりにくいかもしれないけど、チキンライス・ラプソディーじゃないしねぇ。日本語タイトルがこれからどのようなものになるのか、楽しみです。
特筆すべきはやっぱりシルビア・チャン。ショートカットで頭が小さくてかわいいの。スタイルはいいけど背が高い、というわけでもない。赤いショールはもってましたが、黄緑色のカットソーにパンツスタイルと、ラフなスタイルで大女優然としたところはなし。でも、ぼーっと座っていても常にみられる立場にある人はなにかが違う。亜週明星総覧によりますと、1953年生まれの大女優です。監督やったり、香港の金像賞で最優秀女優賞もらったり、けっこうなキャリアです。年齢なんて意味ないです。ロサ・リーもきれいな人で、おそらく年齢的にはシルビアより下でしょうが、人前にでると、女優とプロデューサーでは微妙になにかが違う。

このような監督・出演者を前に映画を語る場に、一般の映画好きが紛れ込むことができる映画祭はやっぱりたのしい。
最前列は報道陣で、うち8割方以上は女性でした。

帰りに麻布の海南鶏飯屋に立ち寄ろうかとふらついたが場所をうろ覚えでたどり着けず。映画に料理をからめるのは常套手段であるが、人間の別の欲求を刺激することは確か。

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』
監督:ケネス・ビィ 2004年
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2004年10月11日

英雄 HERO

テレビ放映で「英雄 HERO」を見直す。


隅々まで計算しつくされた画面が美しい。構図、色使いに隙がない。人物の配置も狂言回しとしての無名、花形役者としての殘劍と飛雪および如月、ほかの者たちに命を狙われていることから話の中心となる秦王、起承転結の起となる長空、と無駄がない。またそれぞれに適切な役者があてられており、バランスもよい。「グリーン・ディスニティー」など、近年武侠映画(現代風中華時代劇)は豊作が続く。制作費3000万ドルは、中国史上最大というがこの作品ならば納得いく。

飛雪を演じる張曼玉(マギー・チャン)が存在感を示している。中華圏で今最も勢いのある女優である章子怡(チャン・ツイィー)に貫禄で勝っている。チャン・ツイィーも、トニー・レオン扮する殘劍にひたむきに仕え慕う侍女・如月をひたむきに演じている。殘劍のパートナーである飛雪は、トニー・レオンの相手役というよりもチャン・ツイィーの相手役としてみたほうが見所がある。
飛雪(マギー・チャン)と如月(チャン・ツイィー)の関係は昨今、経験を重ねた実力のある女が、評価されるようになってきた社会情勢とも密接につながっている。数十年前ならば、このような脚本になったか、また演じきれる中華女優がいたか、疑問である。
マギー・チャンはもともと平板な丸顔で、アジア人らしいやや幼い顔立ちをしている。本作品では目を切れ長にみせ、剣の実力もある大人の女となっている。「宗家の三姉妹」「ラブソング」「花様年華」と、ここ数年の出演作には、年相応の女を魅力的に演じることができる、安定感ある大女優といった感がある。

梁朝偉(トニー・レオン)は武侠映画むきの俳優とは、正直思えない。どちらかというと、優男。特に逞しい体をしているというわけではない。優れた俳優であるので、危なげなく殘劍を演じているものの、剣の達人であるという設定には違和感が残る。
李連杰(ジェット・リー)は登場場面が多いにもかかわらず目立たない。無名は話の結末を飾る主要な役柄であるが狂言回しに徹している。主演作品も多いアクション俳優であるにもかかわらず地味である。色気のある役どころをトニー・レオンにもっていかれているところもあろう。が、これはジェット・リーの資質としてのストイックさが、映画の引き締め役として効果的に使われているとみることもできる。
長空は甄子丹(ドニー・イェン)。監督の印象が最近強い。日本で釈由美子の修羅雪姫のアクション指導で注目されたためか。秦王は陳道明。

ストーリーはあるようで、ない。画面の美しさと役者を鑑賞する作品である。

「英雄 HERO」
2002年 中国 監督:張藝謀(チャン・イーモウ) 
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2006年04月02日

『ブロークバック・マウンテン』重めのヤオイ

4月1日といえばレスリー・チャンの命日である。だからというわけではなく、映画の日だから、『ブロークバック・マウンテン』である。
『美少年の恋』、『ハッシュ!』、『僕の恋、彼の秘密』それに『ブエノスアイレス』などなどゲイ・ムービーには秀作が多いのだが、アカデミー賞候補とまでなったのが本作である。男同士の許されざる関係、というだけでドラマになる。俳優には繊細な感情表現が要求される。ここではさらに、アメリカ西部の美しい山々を背景にして、60年代から70年代のカウボーイの時代が描かれる。

夏の間の羊番として雇われたイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)は山の中で熊に襲われたり嵐にあったり、困難を共にしながら友情を育み、さらにそこから踏み込んで体の関係をもつ。その後、二人は結婚し子供を儲けそれぞれの道を順当に歩んでいたはずだったが、ジャックがイニスにブロークバック・マウンテンの絵葉書をおくったことから焼けぼっくいに火がついて、二人と周囲の苦悩がはじまる。

結局、二人とも幸せにはなれないんである。二人ともどうしょうもない男といえばそのとおり。自分の感情に嘘をついた結果なんであるが、時代背景が許さなかったのである。『ロミオとジュリエット』、『ウェストサイド・ストーリー』に通じる悲恋ものであるあたりも、高い評価の一因だろう。
血気盛んな男同士、顔つきあわせて二人っきりで一夏過酷な体験をともにすれば、一線を越えることってのもあり得るだろうし。二十歳のひと夏の記憶ってのは相当に強烈なわけで、その体験が甘美であれば、後の人生は失われた時間を追い求めるようになるってのはわからないでもない。二人が恋していたのは、相手というよりもブロークバック・マウンテンで過ごした時間だったのではないか、と。

ま、どうしょうもなくヤオイである。肉体的に成熟した美青年がカウボーイ姿で愛し合うんである。でもって、その愛はえらく真剣で重たくって、ずるずると続く。近年のアジアのゲイ・ムービーにあるようなつきぬけた軽さはない。一般的な日本の観客からは、評価がわかれるかもしれない。

ブロークバック・マウンテンで過ごした二人の年齢が二十歳という設定は、見終わって資料をみてから知った。鑑賞中は25、6だと思ってた。西洋人の男性は若作りが難しい。


ブロークバック・マウンテン
2005年 アメリカ 
監督:アン・リー
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2005年10月24日

『ベルベット・レイン』ー成功した邦題ー

『今すぐ抱きしめたい』の再現である。アンディとジャッキーは生き返り、大出世を遂げていた。ジーンズにTシャツ姿だったアンディ、身につけるものも分相応に高価になっている。今も昔も、それぞれのよさがある。男もこんなふうに年齢をかさねていければ、という見本。キレたら止まらない性格はそのまんまのよう。ジャッキーは歳を重ねても、相変わらず落ちつきがない。たのむから、兄貴分の足を引っ張りかねないことはやめてくれ。この二人、明らかに前作を意識していて、嬉しい限り。

二人が、地位と貫禄と引き替えに失ったのが若さ。こればっかりは、どうしようもない。そこで、ショーン・ユーとエディソン・チャン。ラブ・シーンがショーンのみなのも、前作をなぞるよう。

シンプルで慎ましかった前作に比べて、本作のセット・衣装は豪華。ファッション映画といっていい。若手2人も、オレンジ系の鮮やかでお洒落な衣装をカジュアルに着こなしている。ストーリーにあまり起伏がなく、やや雑なのに画面にひきこまれるのは役者たちと美術の美しさによる。たしかに、これまでの香港映画にはちょっとなかったタイプの映画である。監督は誰かと思えば、新人のウォン・ジンポー。

それにつけても、『ベルベット・レイン』という邦題は見事。英語タイトルは江湖の読みそのまんまのJiang Hu だから、これは日本の配給会社ががんばったものと思われる。大人二人がスクリーンで着こなし、日本でも街で流行りのベルベットに、ラストシーンの雨。
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2005年02月16日

『陽のあたる場所から』

共依存がテーマ、とかいうふれこみの話題の映画である。レディースデー、東京での上映終了てことで映画館に足を運ぶ。

フランスの若い精神科の女医が中年女性患者にいれこみ、挙げ句の果てに患者の故郷のアイスランドまでおっかける、というお話。共依存というよりも、フランス女医版『ブラックジャックによろしく』といったほうがよろしかろう。テレビで妻夫木聡が『ブラックジャック。。。』をやってた頃に公開されていたら、それにからめての宣伝もありだったかもしれない。だが、舞台が寒い寒い冬のアイスランドのせいか『ブラックジャック。。。』みたいな爽やかさはない。主人公の二人の関係は女医の思いこみのほうが強く描かれている。これを共依存というのかはよくわからん。

患者役のディッダ・ヨンスドッティルがすごい。口をきかない精神に異常をきたした女性そのもの。いったいこれはノンフィクションなのか、と思うほど。が、女医のエロディ・ブシェーズ が女優然としていて、迫力がないため、フィクションとわかる。衣装はお洒落でかわいいんだが、ここにかわいいをもってくるのは違うだろう。ディッダ・ヨンスドッティルは案の定、本職の女優さんではなく本業はアイスランドの詩人。彼女の熱演によって、人が生きる上での生きにくさをとりあげた映画としては成功している。


陽のあたる場所から
監督:ソルヴェイグ・アンスパック
フランス=アイスランド=ベルギー 2003年
http://www.bitters.co.jp/hinoataru/index.html
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2004年12月12日

『シルヴィア』ありがちな煮詰まり夫婦かも

夫にのめり込んで精神のバランスを崩す妻と、そんな妻から逃げるように浮気に走る夫。私の周りにも一歩手前の夫婦がいたりする。ありがちなカップルである。
ここで妻はピュリッツアー賞作家のシルヴィア・プラス、夫は桂冠詩人テッド・ヒューズ。文才が認められた美男美女だから、始末に悪くて映画になってしまったりする。

シルヴィアの生年は1932年。1963年にオーブンに頭をつっこんでガス自殺している。世に認められた夫と二人の子供とイギリスの田舎での生活、なんてのに満足できないところが創造の原動力になっているわけなんだけど、作品が認められたのは死後のこと。映画から読みとれる物語からは、彼女が生前幸福感を感じていたのはほんのわずかな時間であったとしか思えない。

「常に自分が不満なの」ってところから生み出される作品は人々の心を動かす力を持つ。が、常に満たされないものをかかえている当人は疲弊する。そうやって自分を世に問いかけている人ってのは、有名無名および手段を問わず実に沢山いる。映画になるまでの作品を残すようならば、端から見ていてまだ救いがあるが、たどり着く以前に倒れてしまう人も大勢いる。
そのへん実生活でそれなりにみているうちに、凡庸でも手の届く範囲で問うていきたいと思うようになったのは年を経て人間丸くなったということか、と個人的感慨を少々。

主演はグウィネス・パルトロウ。シルヴィアの学生時代はどこがいいのかよくわかんないが、結婚後の狂気がはいる時代ではぐっと魅力を増して美しくなる。嫉妬にまみれて客をもてなしたり、編集者を誘惑しようとしたり、アパートの管理人に父親を求めてみたりの変化ぶりが様になっている。にもかかわらず、作品として今ひとつこぢんまりとした印象なのは、芸術家としての姿よりも結婚生活に悩む普通の女の姿を強調した脚本のためか。

ここのところ欧米系映画では女性伝記ものが目につく。思い当たるだけでも『ヴェロニカ・ゲリン』、『フリーダ』、『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』など。主演女優の熱演故の佳作が多い。


『シルヴィア』
監督:クリスティン・ジェフズ (2003年 イギリス・アメリカ)
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2004年11月24日

『柔道龍虎榜』日本での公開おそらく未定のところになんですが

平日昼間、お仕事を抜け出して東京フィルメックスへ。『柔道龍虎榜』、月曜夜のチケットがとれなかったんで本日昼に鑑賞。月曜のチケットはあっという間に売り切れたとか。監督はジョニー・トー(杜[王其]峰) だし、出演者にルイス・クー、あーろん、こはる、カーファイとくれば、傑作を期待するのが香港電影迷というもの。

なのに、なんでこうなるのやら。なんで柔道なのか。黒社会がでてくるのか。タレント志望の女の子を登場させる必然性はどこにあるのか。結局なんなのやら。柔道を素材にした目の付け所は悪くないのに消化できてない。黒澤明でなくってアテネオリンピックに触発されて3日でつくったんと違うか、とつっこみたくなったのは私だけか。香港公開は7月8日ということなんでさすがにそれはないはず。

そうか、ジョニー・トーっていうんで『ザ・ミッション 非情の掟』とか『暗戦 デッド・エンド』を期待した私が悪かった。そういえばジョニー・トーってイーキンがマジシャンになる『暗戦 リターンズ』なんてのも撮ってたし。
純粋に香港オバカ映画として見れば、夜の路上でみんなでスーツ着て組み手やってたりして楽しい。あーろんの髪型はマンガチックだし。黒澤明の『姿三四郎』を見た上で見ればそれなりに見所満載なのかもしれないし。
でも、この作品をひっさげて「香港映画最前線~鬼才ジョニー・トーの映画術」って、いいのか。


『柔道龍虎榜』
監督:ジョニー・トー(杜[王其]峰) 香港 2004年
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2004年11月19日

『恋愛回遊魚』つまんない、というよりも難解

つまんない、というよりも難解な映画。話の流れを追うために画面をずっとみている必要がある。話がとぶが故に宙に足がつかないような雰囲気に仕上がっているし、ちょっとした小物やエピソードが妙に浮き出して洒落てみえたりするんで、こういうのがお好みの方にはよろしかろうが。

三十前の台湾大学医学部卒のプータローとテレビCMに出演するくらいのレズの美少女女子高生の不思議な関係なんだが、これは恋愛なのかなんなのか。よくわかんないうちに主役の男は清掃車にぶつかって倒れていて、美少女はバスにのって別れの手紙を書いている。

主役の男は妙に首が長くてだらしないん風貌なんだが、途中ブランドものの衣装で固めてあらわれるとそれなりにきまってみえるのがおかしい。演じているのは『藍色夏恋』のイー・ツーイェン監督なのだった。『藍色夏恋』メイキングにでてくる姿とは体格が完全にちがっていて、別人にしかおもえないが。音楽が極端に少ないこと、レズを自称する女子高生などは、『藍色夏恋』につながる。

なんで台湾の映像作品って映画とテレビドラマでこんなにテイストが違うのか。映画は完全にお芸術の世界にいっている。どの作品も監督や撮影のこだわり満載。画面はいつも淡くぼんやりしていて懐かしい感じ。音楽もほとんど使われない。同じお洒落系難解映画でも香港の王家衛による『恋する惑星』や『天使の涙』が大成功したのは、音楽の使い方がポップなことが理由のひとつであろうと、本作や一連の台湾映画を見ることによって思い至る。

対して『流星花園』以降のテレビドラマはわかりやすいエンターテイメントを突っ走っているらしい。画面はすっきりはっきり。映画界とテレビ界で映像関係者の行き来はないのか。日本で公開される台湾映画に偏りがあるだけなのか。どうでもいいけど、謎。


『恋愛回遊魚』
監督:ウー・ミーセン 2000年 台湾
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2004年11月18日

『藍色夏恋』清く正しく美しく

女の子二人、男の子一人の完全な三角関係である。制服姿の清く正しい青少年の恋愛が描かれる。
台湾映画らしい青春映画だ。メイキングで監督は台湾映画の重くて暗いイメージを払拭したかった、といっているが、明るい感じはあまりない。暗い、ということはないんだけど切なさが強調されて、それがどこか寂しさにつながる。淡い色彩、台北の街と海辺の街、ありがちなモチーフが印象に残る。音楽もほとんど使われず、セリフも少ない。

主役の男の子(チェン・ポーリン)、女の子(グイ・ルンメイ、リャン・シューホイ)がみずみずしくて可愛い。特に、グイ・ルンメイ(桂綸[金美])。やせっぽちでどこにでもいそうなんだけど、画面での表情がいい。ショートカットで大きな目で無愛想なのが可愛いのだ。チェン・ポーリン(陳柏霖)はどこにでもいそうな等身大の男の子が、ちょっと格好良くなった感じ。台湾で人気なのは本作を観て納得できる。

カンヌで大好評だったとのことだが、おうちでDVDとしてみるのには少々退屈。映画館でぼーっとスクリーンを眺めるにはいいのかもしれない。DVDの特典映像は、映画をスクリーンで観て気に入った人ならば見る価値あり。

主人公の彼らの年頃に観たら、また違った印象を持ったかもしれないな、と。


『藍色夏恋』(藍色大門/BLUE GATE CROSSING)
監督:イー・ツーイェン (2002年 台湾)
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2004年11月17日

『オールド・ボーイ』容赦ない韓国の映画

出来映えのよい映画だ。チェ・ミンシクの熱演ぶりは、あり得ない設定をくつがえす。背中にナイフが刺さっていようと敵をぶちのめし、戦いつづけるのだ。カン・ヘジョンも、体当たりというにふさわしい演技をみせる。場面によってメークをがらりと替える彼女は、チェ・ミンシクを慕う謎めいた女の子の不思議な雰囲気にぴたりとはまる。敵はユ・ジテ。『アタック・ザ・ガスステーション』でセリフが少ないながらも存在感があった男前は、出番が少ないながらもきちんと役をわきまえた仕事をする。
全体の構成もひとつひとつの場面も計算されている。無駄がまったくない。どうして、彼は15年も監禁されていたのか。観客は最後まで、「謎」につきあうことになる。終盤の謎解きは、すこしずつ進む。そして新たな謎が問いかけられる。人がそれほど沢山死ぬ話ではないにもかかわらず、重い。
凝った作りの映画らしい映画であり、サスペンスとしての展開も上等である。

が、あまりにも救いようがない。終映後「なんかねぇ」。というつぶやきにも似た会話がちらほらきかれた。

容赦のなさがこの映画にはある。この感覚はおなじ韓国映画の『カル』や『リベラ・メ』などと同質であり、韓国映画しかもたらせえない類のものだ。
個人的趣味とは、どうも相容れない。許容範囲外なのだ。ことばにしてしまうと、げんなりする、ということになる。もっとも平気な人、もしくはこういったものを好む人もいるかもしれない。もちろん隣の国の文化を楽しんだり応援することは当たり前、しかるべきことだ。作品に対する個人の感性の問題。

どことなくヌルい香港や台湾の映画が正直、性に合う。韓流に、いまいちのれない理由はこのあたりにあるのだろう。といいつつ部屋にイ・ビョンホン氏の写真集があるのは何故。


『オールド・ボーイ』
監督:パク・チャヌク (韓国 2004年)
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2004年11月16日

SARSに負けるな『1:99電影行動』

昨年の春、香港はSARSの流行で大きな痛手をうけた。
香港電影工作者總會が企画した、SARSに沈む香港社会を励ますことを目的にしたキャンペーンフィルム集である。本編より長いメイキングがはいっており、冒頭をエリック・ツァンによる香港電影金像賞授賞式の司会のことばが飾る。
「イラクでの戦争、レスリー・チャンの死、SARS、、世界に暗雲がたちこめた。司会は勘弁してくれ、と大会実行委員長に電話した。そんなとき、SARS感染から生還した医師が仲間の医師に協力を要請し医療現場に戻る姿があった。後戻りはできない。式典を決行します」(要約)。
社会が困難に立ち向かっているとき、それぞれが自分の仕事をやりとげることの大切さを伝えるスピーチは感動的であり、本作品集の意図を十二分に伝える。街が伝染病に見舞われるというのがどれほど大変なことか、にもかかわらず立ち向かう香港の人たちの意気込みが、この作品集から伝わってくる。

15人の監督による11編のショートフィルムがおさめられている。香港映画好きならば、あの作品を撮った人、とすぐ頭に浮かぶ監督たちである。出演者も香港映画を代表する役者が揃う。アンディ・ラウ、アーロン・クオック、ジジ・リョン、サミー・チェン、サム・リー、アンソニー・ウォン、トニー・レオン等々列記していくときりがない。それぞれわずかな時間ながらも、「がんばれ香港、SARSに負けるな」をテーマに、各監督の個性が発揮されている。

日本では、韓国映画におされて香港映画の公開本数が減ったことが報道されている。が、本作品集は、香港映画の底力を確信させる。芸術色濃い文芸映画に、カンフー・アクション映画、ラブストーリー、香港ノワール、と現在の香港映画は間口が広く、多彩なんである。
『1:99電影行動』は香港の映画でメシを食う人たちの社会貢献へのアピールであり、香港の歴史も踏まえた社会的で有意義な作品集である。このような商業色の薄い地道な作品が日本語字幕つきDVDになってレンタルで視聴できるんだから、香港映画はなんだかんだいっても日本で愛され続けているのである。


『1:99電影行動』
監督:杜[王其]峯・韋家輝・陳果・徐克・周星馳・陳可辛・馬偉豪・陳徳森・劉偉強・麥兆輝・羅啓鋭・張婉[女亭]・林超賢・謝立文(2003年 香港)
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2004年11月11日

『錦繍前程』(レオン・カーファイの恋はあせらず)

日本のDVDには『レスリー・チャンの恋はあせらず』とすごいタイトルがついているが、中国語タイトルは『錦繍前程』である。レスリー・チャンとレオン・カーファイの友情コメディで、レスリーは嘘つきサラリーマン、カーファイは老人ホームでバイトする音楽家志望青年なのである。ほかにロザムンド・クヮン、マイケル・ウォン、ウォン・ジーワーらが出演している。日本ではカーファイよりもレスリーのほうが知名度が高くファンも多いため、こんな邦題がついてしまったのであろう。

ストーリーはわかりやすい。背広に眼鏡のレスリー扮するロンが会社をクビになって女にも振られて、カーファイ扮するホイら友人たちに迷惑をかけまくる。ロンもホイも友人たちもお金持ちではなさそうだけど、友達がいて気ままに生きていて、楽しそうでよろしい。ロンもホイもダメ男っぽいけど憎めない。

カーファイがのびのびしていてよろしい。カーファイってエラがはってて好みが分かれる顔立ちをしているが、ガタイがよくって個性的なんである。心優しいフリーター役がはまっている。気どりのない役柄だが、カーファイ演じるが故、優しい大人の男でもあったりする。
対して、ずっと背広姿のレスリーである。しかし、レスリーに庶民的な役柄、似合うとは思えないんだが如何だろうか。もっとも、迷にとっては「かわいい~」といったところかもしれないが。私もレスリーとなるとちょっと平静ではいられなくなる口だが、うむ。ま、こういうレスリーもあり、か。
ちなみにレスリーは『恋戦 OKINAWA』といい、カーファイと組むと子供っぽくみえる。ええい、言ってしまえ、「とっつぁん坊や」と。カーファイが大人だから、というよりも監督の演出のせいか。『恋戦 OKINAWA』と同じ監督なのだった。

レスリーよりもカーファイをみる映画。日本では劇場未公開。土地転がしビジネス、老人ホームなどは香港ならではの設定であり、駄作ではないんだけど、映画としてはもう一ひねり、スパイスが欲しいところ。


『錦繍前程』
(監督:ゴードン・チャン 1994年 香港)
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2004年11月10日

『2046』について少々

いまさら『2046』なのであった。一回見ただけでどうこういえる作品ではないが、少々。
芸術性は高いことは誰しも認めるところであろうものの、好みがわかれる作品であることは間違いない。トニー・レオン扮する女遊びを得意とする文筆家が主人公なのはいいが、時間軸がやたらととぶから話がみえない。登場人物たちの評価も、観客ごとに異なるであろう。豪華キャストの抽象的な作品である。

王家衛作品を見続けてきて、王家衛的世界が好きな人にとっては好感が持てる作品だ。なにしろ『花様年華』『欲望の翼』『天使の涙』『恋する惑星』『ブエノスアイレス』あたりがごっちゃになったような映画である。冒頭のSFチックな映像には、そうきたか、と思わせられた。しかし中盤から後半にかけて、だれてくる。
女たちは美しい。特にアンドロイドになった女たち。SF映画ではよくある設定であるが、王家衛、ウィリアム・チョン、クリストファー・ドイル(本作品では撮影というより撮影監督らしい)ら『天使の涙』チームならではのアンドロイドっぷりである。カレン・モクのぶっとび金髪女が頭に浮かぶ。ただ、もっと各人の個性があってもいいのでないか。
好みは人それぞれだろうが、私の好みはフェイ・ウォン。歌手が本業であり演技にそれほど力をいれているとは思えない彼女だが、王家衛の映画にはその固さが妙にはまる。チャン・ツィイーは見所満載。かーりんのご登場は『欲望の翼』好きにはたまらない。コン・リーもさいごにでてくる。マギー・チャンはあくまでもゲスト。ドン・ジェは印象に残らなかった。豪華な顔ぶれであるが、チャン・ツィイーとドン・ジェの二人の若手以外はすでにこの監督の作品に出演済みなのであった。
男優陣は女優陣とくらべると、物足りない。トニーさんは、あちこちで褒められてるが、要はスケベ親父ではないか。余裕ありすぎと思うのは私だけか。キムラ氏は、面長で目の表情などがどことなくトニーさんに似ているが故に起用されたと思われる。チャン・チェンは、いたっけ? といった程度しかでていない。
王家衛もすっかり巨匠である。初期のころにあった青さはすっかり抜けてしまって、なんだかもう、一緒に歳とっていこうよ、といった感じの作品が続く。大陸の大家たちみたいに落ち着いてほしくはないんだが、仕方があるまい。次作もトニーさん主演らしいし。『2046』では、それなりに新しいものをとりいれようと、昔のロードムービーっぽい感覚をだそうと試みたんではないか、とも思える。

理由は何であれ、アジア圏の映画がつぎつぎと日本で注目を集めている。わるいこっちゃないだろう。カンヌの権威に弱いんでも話題先行でもよかろう。


『2046』
(監督:ウォン・カーウァイ 2004年 香港)
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2004年11月08日

『花より男子』(日本映画 1995)

コミック『花より男子』の日本での実写版である。1995年の作品。劇場映画で78分にまとめられている。当時、かなり話題になったことを記憶しているが、いましがたようやくビデオで見終わったのであった。

内田有紀主演のB級アイドル映画である。こういうチープなテイストがたまらん人にはよろしかろうが、普通にみると、かなりつらい。内田有紀は原作と違ってショートカットだけど可愛いから許す。しかし、最後のカットはもうちょっといい表情の絵にしてやれなかったのか。
悲しいのはF4だ。金持ちにはみえないし、4人がオープンカーに乗って登場したり道明寺が裸に派手派手チョッキででてきたり。妙なところで原作に忠実で、道明寺はおもいっきりアホっぽい。ラストシーンでよくみるとハンサムなのに。谷原章介という役者さんで、現在も活躍中らしい。花沢類は藤木直人。類は難しい役どころだが、藤木直人は顔でカバーしている。演技についてはなにもいうまい。
美作と西門が全く描けていない、二人ともちょい役で、どっちがどっちかわからないどころか、その他大勢にとけ込んでしまっている。
女の子向けのコミックを、美少女アイドル映画にしたんだからムリがある、1時間ちょっとの映画での表現には制約がある、とはいうものの、コミックとは別の作品としてみるにしてもなんだか中途半端な作品。藤原紀香嬢映画初出演作として、歴史に残る一本ではあるようだが。

台湾ドラマ版が成功したのは、やっぱりF4の功績だ、と改めて思うのであった。主役の道明寺はアホなだけじゃだめなんである。もともと女の子向けのコミックなんだから、いい男に描かないと。類は仔仔のほうが上手いかも。というか、仔仔のほうがちゃんと演出してもらっている。美作と西門の描き方も重要。4人揃って、その他大勢よりも背が高くてガタイのいい男子で大正解。
また、設定を中途半端にせず、4人を徹底的なお金持ちにしたり、台湾の庶民的な町並みをほとんど使わなかったのも、ドラマの非現実性を高めている。日本版はそのあたりハンパであるが故にチープなんである。

台湾版の制作者は、当然日本での実写版を参考にしていると思われる。舞台となる大学の雰囲気、かなり似ている。台湾版では日本実写版にあちこちダメだしして反面教師にしてるんではなかろうか。監督、制作者の功績も大きい。

素材が同じでも、料理の仕方で見事に味わいが違う好例。


『花より男子』
(監督:楠田泰之 日本 1995年)
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2004年11月05日

『向左走・向右走 (Turn Left, Turn Right)』ターンレフト・ターンライト

ジョニー・トー〈杜[王其]峰〉のラブコメである。ジョニー・トーといえば、『暗戦 デッド・エンド』に『ザ・ミッション  非情の掟』と、ハードボイルドな男の世界をカッコよく描く監督だ。それが、金城武クンとジジ・リョン(梁詠●)のラブストーリーである。

これがまた、かわいいんである。好きあっているのに、いつまでも出会えない二人。いろんなところですれ違っているのに、部屋さえも隣なのに、本人たちは気がついていない。あり得ない、あほらしい、といってしまえばそれまでの話なのだが、観ていてつい、はらはらしてしまう。
脚本がしっかりしているんである。主役の二人にはそれぞれおじゃま虫がくっつくのだが、その絡み方もよろしい。しかし、冒頭で金城君を誘惑しようとする怖いおねえさんには全く意味がない。

主演の二人はいうまでもなく美男美女。金城君はバイオリン弾き。バイオリンを弾く男というと、つい『流星花園』の花沢類を思い出すが、バイオリンは中華圏美青年のキーアイテムのようだ。ジジ・リョンは『烈火戦車』でアンディ・ラウの相手役としてみたのが最初。烈火戦車が1995年の作品だから、もう10年近く売れっ子なわけで、でもまだ28歳で、立派なもん。日本でも『再見 またあう日まで』がヒットしたし。イーキンとは長いし。こういう甘いラブストーリーの主役にぴったりはまる。可愛い格好で登場するんだけど、その長いマフラー、危なくないか?

舞台は台北。主人公二人の部屋が広くてお洒落で、貧乏とはとてもいえないのは仕方ない。台北の街の描き方がさりげなくていい。『流星花園』みたいにトレンディスポットで固めず、かといって『夢遊ハワイ』ほど泥臭くもなく。ナチュラルでお洒落におさえている。

原作は台湾の絵本。中華圏でのベストセラーということ。雰囲気がわかるサイトはこちら。日本でも出版されているがあまり話題にならなかったような。ほんわかした雰囲気が映画に活かされていることに納得する。
ずっとあきらめずに思っていれば縁は必ずある。たとえ邪魔するものがあったとしても二人は出会うことができる。ジョニー・トーのラブストーリー、隙はあれども、恋に前向きになれる小品に仕上がっている。

レディース・デーの午後の回に鑑賞。映画館には金城君目当てと思われる女性が列をなしていた。


『ターンレフト・ターンライト』
原題 向左走・向右走 (Turn Left, Turn Right)
監督:ジョニー・トー (香港 2003年)
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2004年11月04日

『インファナル・アフェア 無間序曲』 パートIIからみるのもおすすめ

黒社会(マフィア)で生きる潜入捜査官と、警官として生きる黒社会構成員。黒社会と警察の攻防の中、ともにスパイとして敵地で信頼を得ながら働いている二人の男。なんともややこしい事態である。多くのものを失いながら、誰のために生きているのか。苦悩する二人をアンディー・ラウ(劉徳華)とトニー・レオン(梁朝偉)が演じた第1部が日本で公開されたのは2003年のこと。

本作はその第二部である。物語は過去にさかのぼる。二人の潜入者には、アンディー・ラウとトニー・レオンの若き日の姿として前作に登場した、ショーン・ユーとエディソン・チャンが起用されている。が、この二人の比重はそれほど大きくない。アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、フランシス・ン、ロイ・チョンそしてカリーナ・ラウら香港映画ではおなじみの渋めの大御所たちが物語を進めていく。無間道は大人の世界なんである。

よって、安心してみていられる香港ノワールの世界が繰り広げられる。かといって、マンネリ感もない。『藍宇』でおなじみの中国俳優フー・ジュンが重要な役どころで登場したり、カリーナ・ラウが芯のとおった姉御っぷりをみせたり、キャスティングと脚本のバランスもよい。
二人の若手の見せ場が効果的。キャリアも知名度もあって癖の強い俳優たちのなかで、よく健闘している。物語が複雑なためとまだ二人とも役者としての癖がついていないため、いまいちどっちがどっちなのか区別がつかなくなったりもするが。
どちらかというと、ショーン・ユーのほうが印象が強い。警官の制服よりも、黒社会の派手な格好のほうが個性をだしやすい、ということもあろうが。エディソン・チャンは、出演作を何本かみているのだが、育ちがよすぎる感があり荒っぽい役どころにはそぐわないと思うのは私だけか。

フランシス・ン、というよりン・ジャンユーといったほうがしっくりくるのだが、この人はでる作品ごとに印象がちがう。悪役やら黒社会の人役は得意の人だが、今回は眼鏡をかけたインテリ風の黒社会のボスとしてご登場。誰かと思った。
逆にエリック・ツァンは、エリック・ツァンにしか見えないが、この人はこれでよろしい。アンソニーは独自の渋さをかもしだしているし、メインキャスト紅一点のかーりんは格好いいし。

トニーとアンディが中心だったIとは別の作品として鑑賞できる。かつ、ちゃんと3部作のうちのひとつとして話もつながっている。IIをみてからIをみてもいいようにできているのはお見事。アンドリュー・ラウのお仕事でも、おなじ連作『古惑仔』よりもはるかに緻密であり、その進化がうかがえる。もっとも『古惑仔』はあれはあれで、よろしいんですが。無間道もそのうち外伝なんかでてきたりするかもしれないが、折角なのでこのまま渋くキメてほしい。

なお、エンドロールのあとでIIIの予告がながれ、これは必見。これまた無茶苦茶楽しみなキャスティング。香港では今年の12月から公開とか。なお香港のサイトはこちら

新宿は歌舞伎町の映画館街で鑑賞。香港ノワールものをここでみると、日本で観ているにもかかわらず、映画館をでてからもしばらく気分がつづいてたいへん楽しい。こわい、という意見もあるようですが。


インファナル・アフェア 無間序曲
監督:アンドリュー・ラウ (香港 2003年)
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2004年11月02日

『夢遊ハワイ』(「台湾映画と日本」・台湾映画上映会)

『夢遊ハワイ』が上映されるというので早稲田大学に足を伸ばす。東京国際映画祭で上映された作品である。

話を進めるのは兵役中の少年、といっていいくらいの若者二人。頭のおかしいふとっちょの後輩が脱走し、退役を間近に控えた二人が探しにいくことになる。みんな女の子が気になるお年頃。脱走したふとっちょは雑誌のモデルを彼女だと思いこみ、彼を追う一人は見知らぬ女の子を口説く趣味があり、もう一人は小学校の時の憧れの女の子を捜す。

やや暗めの画面。内省的でのどかな、田舎を舞台にした台湾映画らしい台湾映画である。なんということのない、若者成長物語なのだが、兵役という台湾の若者独自の事情を背景に上手につかっている。若いいちばん充実した時期の退屈な時間。美しい映像をみせている。水色に光るガードレールがきれい。

主演の男の子はトニー・ヤン(楊祐寧)とホワン・ホンセン(黄鴻升)。二人とも台湾のトップアイドルだが演技経験はそれほど多くはない、という。男性アイドルグループ花盛りの台湾だがホワン・ホンセンは『丸子』というユニットにいるらしい。短髪の台湾アイドルって、新鮮。二人ともハンサムだが個性を描きわけているってわけでもないんで、どっちがどっちの役だったか、いまひとつ区別がついていなかったりする。映画としては、どっちでもいいのかも。

若者映画ということで、先日観た『狂放』とつい、比較してしまうが、作品として成功しているのは本作品のほう。ストーリーに無理はあるが、物語に広がりがある。ホワン・ホンセンは『狂放』にも主演しているが、『夢遊ハワイ』でのほうがのびのびしてかわいらしい。役柄故、というよりも監督の撮り方にもその理由があるようだ。監督は演技経験の浅い役者たちに、自由に演技をさせて、編集していったという。これは現在の台湾でよく使われる手法とのこと。監督のキャリア故か。

そうはいってもこの作品も観る人を選ぶ映画だろう。台湾映画独特の芸術性が強いんである。台湾映画を見慣れていない人には90分がつらいかもしれない。日本での公開は決まっていない、という。
台湾での一般公開はこれから、ということだがトップアイドルが芸術映画にでることの効果というか反響が気になる。
トニー・ヤンについては、ポップアジア53号によると『十七歳的天空』の日本公開が予定されているらしい。台湾で大受けした十代のゲイ・コメディで、シンガポールでは上映禁止になったとか。テーマソングも軽やかで、とっても気になる1本

シュー・フーチュン監督と『時の流れの中で』のチェン・ウェン・タン監督が来場しており、観客からのQ&Aもあった。台湾の兵役のことなど、台湾に関するややかためのディスカッションが多かった。娯楽としてよりも文化としてみる映画という雰囲気だったが、これも悪くない。何故ハワイなのか、というとどうやら監督の憧れの場所らしい。撮影場所は台東ということ。
早稲田大学台湾研究所の主催。大衆文化の映画をアカデミズムに持ち込むのはなかなか大変でしょうが、よい企画です。これからもがんばってください。


『夢遊ハワイ』
(監督:シュー・フーチュン 2004年)
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2004年10月31日

『カンフー・ハッスル』舞台挨拶付き(東京国際映画祭)

雨の渋谷でしたが、映画祭は続いています。
さて、特別招待作品の『カンフー・ハッスル』、来年早々に日本でも劇場公開するということで、無理してみることもないかなぁ、と思った。が、周星馳の舞台挨拶つきというんで、一般発売初日にチケット確保。3分で完売というニュースがでてましたが、そこまででもなかったような。

文化革命前の中国。どことなく『上海灘』を思い出させる街並みや、かの九龍城を連想させる雑居アパートが舞台となるが、セットがどことなく安っぽいのが、らしくてよろしい。
ストーリーの詳細は、これから観る人がいらっしゃることなので、省略する。はじまってしばらくは地味でややたるいが、後半は星馳節が炸裂する。派手なアクションと馬鹿馬鹿しい特撮のてんこ盛り、脇にはほろっとさせられる清楚なラブストーリー。単純に、楽しめて、あとに残らない。お子様にも安心して勧められる。
主演なのに星馳の出番が少なかったのは、たぶん俳優よりも監督や脚本、制作に集中したかったためと思われる。ナンセンス・カンフー映画なので、日本でも一般うけすることは間違いないが、俳優・周星馳が動いているのをみるのが好きな迷には、物足りないかもしれない。

舞台挨拶の周星馳は、監督・周星馳だった。3階からも、緊張していることがわかった。受け答えも実直で真面目。「これからも皆さんの期待に応える作品をつくっていきたい」とか謙虚なのだ。サービス精神は言葉ではなく、大勢が舞台にならんでパフォーマンスをやることと衣装で発揮。スクリーンの中で広東語を早口でまくしたてて表情豊かに馬鹿やって人をこづいたりしている、よく見るとかなりの男前の周星馳とは異なった。役者がスクリーンで演じる姿って、やっぱり幻影なのである。司会のおねえさんは「かわいい」とかいってたが、立派なおじさまである。映画監督って、それも成功してしまった監督って、大変なのねぇ。

日本で香港映画というとカンフーや少林寺をテーマにしたものが大きく取り上げられて大手の配給ルートにのる。動きが派手なのと、従来のイメージに沿ったものだからだろう。周星馳の作品でも『食神』など、日本でも公開されているのだが、『少林サッカー』ほど大々的に取り上げられなかった。言葉の細部がわからなくったって十分面白いのになぁ。その点、『カンフー・ハッスル』は売れ線をハズしていない。

私は3階席で鑑賞したが、2階、3階とも空席がけっこうあった。足下も悪いことだしチケットとったもののいかなかった人もいるのだろうが、勿体ない。観たくても観れなかった人も大勢いたと思われるのに。スクリーンがみにくくなるためわざと人をいれてない席もあるのかもしれないが、舞台挨拶つきだったら、なおのこと、見たい人は一人でも見えるようにしたほうがよいように思えるのは素人考えか。

会場が六本木と渋谷にわかれていること、ちらちらと人様のBLOGをみると不評である。六本木ヒルズ、会場の雰囲気としてはいいのだが。JRや地下鉄だと渋谷と六本木は行き来しにくい。車で移動する分には近くて便利。六本木ヒルズー渋谷間はバスが運行しているのだが、これは無料配布しているパンフレットに大きく書かないと気がつかない人もいるかもしれない。
東京国際映画祭は、一般にも大きく宣伝しているにもかかわらず、マスコミや映画関係者以外の観客に対しては、残念ながらちょっと冷たいんではないか、と思ったりもする。チケットがとりにくかったり、行ってみれば空席があったりということも含めて。映画でごはんを食べている人中心なのは当然とはいうものの、大々的な広報からつい運営にまで期待しすぎてしまう普通の映画好きとしてはやや寂しい。チケットの値段は良心的だし、内容的にはラインナップはいいし豪華ゲストを生で見ることができたりして、文句ないのだが。


『カンフー・ハッスル』
監督:周星馳(香港 2004年)
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2004年10月29日

『 狂放』(東京国際映画祭)

東京国際映画祭が続いています。本日は日中の渋谷に行ってきました。『狂放』という台湾映画です。以下、とっても辛口なんで、明日の上映、もしくはどこかでこれから観る方は観てからお読みくださることをおすすめします。

高校卒業して、なんとなくぷらぷらしている台湾の若者たちのおはなし。刺青いれたりクラブで踊ったり。大学に行っている子もいるけれども。画面も暗めで、久しぶりに映画を観ていて眠くなった。主要な登場人物が男の子2人女の子1人の3人なのか、あともう一人の女の子もいれて4人なのかもよくわかんなかった。男の子ふたり、女の子ふたり、それぞれの区別もつかなかった。男の子同士、女の子同士で同性愛やってるってことはわかるんだけど、だから? ってかんじ。それなりに物語はあるみたいなんだけど、過程が省略されているから、ラストもなんでこうなるのか、さっぱりわからんのである。

私は結構あちこちでほめられていたイラン映画『ブラック・ボード -背負う人-』を映画館で観て爆睡した感性の持ち主である。タイトルど忘れしたが結構評判だった香港のインディーズ映画も眠かった。なので、観客に問題があると片づけていただいてもいいのだが、台湾の現代風俗を描いた映画を日本人の観客がみているから、ということもあるような気がする。日本には高校卒業してうだうだしている若者なんて、何年も前から掃いて捨てるほどいて格段珍しいことではない。
日本には彼らを主人公にした、地味めの秀作映画も多い。なので、この作品に描かれた若者たちは、どうもパンチ不足なのだ。大学受験に熱をいれ、台北の駅前に予備校が乱立している台湾ではエッジな部類の若者なのかもしれないけど。
日本以外のアジア圏のここ数年のうだうだ系若者を描いた映画としては香港のフルーツ・チャンの『メイド・イン・ホンコン』がまず思い出されるが、この作品にあるような時代背景や場面の作り方からくる切なさも感じられなかった。

なにか言いたいことがあるってのはわかる。過程の省略も意味のあることかもしれないし、プロットの構成とか、場面の切り替えとか、工夫しているのはわかるから手厳しいことをいうのは酷ではあるのだが。


『狂放』
監督:レスト・チェン (2004年 台湾)
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2004年10月28日

『スゥイングガールズ』は『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ

のっけからなんなのだが『スゥイングガールズ』は矢口史靖監督による『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ作品である。

題材は違えど、コンセプトはまったく同じ。構成も展開もまとめ方も同じ。ボーイズをみた人にむけて、あえておんなじにしているんでしょう、監督、と声をかけたくなる。夏のボーイズに対して、冬のガールズを意識してみたり。女の子たちはがんばっているけど、主演の上野樹里ちゃんまで印象が薄いのは、この映画が監督のための作品だから。

ボーイズ同様、ガールズも健康的で楽しい作品に仕上がっている。途中のいろんなエピソードは、もうおかしくて仕方がない。映画館では何度も爆笑の渦がおきる。この監督らしいベタなウケ狙いは成功している。

なので、ボーイズのテイストを気に入った者にはたまらない作品である。矢口史靖の世界では、地味でマジメな普通の子の青春という側面はハズせない。『アドレナリンドライブ』や『パルコフィクション』も含めて。これはたぶん、八十年代以降に高校生だった人たちにはなんとなく共感できる感覚だろう。とりたてて何が不満ってことはないんだけど、なんとなくもやもやした感じ。目立ちたいとか世の中に対してなにかしたいっていうんじゃないけど、ちょっともの足りない、みたいな。
レディースデーの水曜日、日比谷シャンテ・シネは満員。


スゥイング・ガールズ
監督:矢口史靖 (2004年 日本)
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2004年10月26日

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』

東京国際映画祭です。六本木ヒルズって、いくたびに砂上の楼閣という言葉が頭に浮かぶんですが、世界から俳優女優監督プロデューサーそのほか関係者がやってくる映画祭の雰囲気と一致しています。あちこちにはられたポスターが気持ちいい。映画は一瞬の夢を見る娯楽だもんね。さて、本日は『ライス・ラプソディー』(海南鶏飯)という作品をみてきました。

主人公はシンガポール一の海南鶏飯屋さんの女主人のお母さん。海南鶏飯とはシンガポール名物のチキンライスのことである。3人のお年頃の息子がいるがどうも3人ともゲイらしい。お母さんとしては、せめて高校生の三男だけでも女性と結婚して孫を見せてくれないか、と考えるわけだが、さていかに、というおはなし。フランス人の女の子をホームステイさせたり、彼女に惚れてる近所のおじさんが海南鴨飯を開業したり、魅力的な登場人物たちが物語を賑やかに展開していく。脇役となる長男、次男の恋の進展も楽しい。
同性愛を扱った映画には見応えがある佳作が多い。愛情に対して繊細に向き合わざるを得ないからだろう。この作品も例外ではない。ゲイをテーマにしたほかの作品のほとんどが当事者を主人公にしているのに対して、この作品は、ゲイの息子をもつ母親を主人公にしているところが斬新で、そしてその設定は成功している。決して頭の固い母親ではない。でも母親としての希望や我だってある。息子たちを愛する現代的な母親だ。この母親をシルビア・チャンが熱演している。
舞台がシンガポールというのもいい。登場人物たちは英語と北京語を話す。自転車、水、と、熱帯の都会・シンガポールに似合うモチーフが効果的に使われていて、アーティスティックな映像も嫌みになっていない。音楽は日本の川崎真弘。
今日的なテーマを真面目に扱っているのに、軽やかで見終わったあとも爽やか。派手な作品ではないが、マニアックすぎる作品でもない。これから、Bunkamuraや岩波ホールなどで上映される可能性は大きい。『女人・四十』がいけたんだから、これもいけるはず。コンペティション部門ということだが、かなりいい線いくだろう。映画祭らしい映画でもある。

と、ベタ褒めしていますが、上映後のティーチ・インが楽しかったことも好印象の所以です。監督のケネス・ビィ、主演のシルビア・チャンにマーティン・ヤン、音楽の川崎真弘にエグゼクティブ・プロデューサーのロサ・リーと豪華な顔ぶれ。司会の紹介の前にみんなで前にでてきてしまったり、なごやかな雰囲気でした。
ケネス・ビィはまだ30代でしょうか。ちょっとWEBをひいたら、かのフルーツ・チャンの『花火降る夏』の音楽やってたとかで、映像感覚に納得しました。英語と北京語のセリフの書き分けをどうやって決めたのかについては、あんまし意識していなかったらしい。
作品タイトルについては人それぞれ意見があるようですが、私としては中国語タイトル、英語タイトルともこれでよいと思う。英語タイトルはたしかにわかりにくいかもしれないけど、チキンライス・ラプソディーじゃないしねぇ。日本語タイトルがこれからどのようなものになるのか、楽しみです。
特筆すべきはやっぱりシルビア・チャン。ショートカットで頭が小さくてかわいいの。スタイルはいいけど背が高い、というわけでもない。赤いショールはもってましたが、黄緑色のカットソーにパンツスタイルと、ラフなスタイルで大女優然としたところはなし。でも、ぼーっと座っていても常にみられる立場にある人はなにかが違う。亜週明星総覧によりますと、1953年生まれの大女優です。監督やったり、香港の金像賞で最優秀女優賞もらったり、けっこうなキャリアです。年齢なんて意味ないです。ロサ・リーもきれいな人で、おそらく年齢的にはシルビアより下でしょうが、人前にでると、女優とプロデューサーでは微妙になにかが違う。

このような監督・出演者を前に映画を語る場に、一般の映画好きが紛れ込むことができる映画祭はやっぱりたのしい。
最前列は報道陣で、うち8割方以上は女性でした。

帰りに麻布の海南鶏飯屋に立ち寄ろうかとふらついたが場所をうろ覚えでたどり着けず。映画に料理をからめるのは常套手段であるが、人間の別の欲求を刺激することは確か。

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』
監督:ケネス・ビィ 2004年
posted by 夏居 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月11日

英雄 HERO

テレビ放映で「英雄 HERO」を見直す。


隅々まで計算しつくされた画面が美しい。構図、色使いに隙がない。人物の配置も狂言回しとしての無名、花形役者としての殘劍と飛雪および如月、ほかの者たちに命を狙われていることから話の中心となる秦王、起承転結の起となる長空、と無駄がない。またそれぞれに適切な役者があてられており、バランスもよい。「グリーン・ディスニティー」など、近年武侠映画(現代風中華時代劇)は豊作が続く。制作費3000万ドルは、中国史上最大というがこの作品ならば納得いく。

飛雪を演じる張曼玉(マギー・チャン)が存在感を示している。中華圏で今最も勢いのある女優である章子怡(チャン・ツイィー)に貫禄で勝っている。チャン・ツイィーも、トニー・レオン扮する殘劍にひたむきに仕え慕う侍女・如月をひたむきに演じている。殘劍のパートナーである飛雪は、トニー・レオンの相手役というよりもチャン・ツイィーの相手役としてみたほうが見所がある。
飛雪(マギー・チャン)と如月(チャン・ツイィー)の関係は昨今、経験を重ねた実力のある女が、評価されるようになってきた社会情勢とも密接につながっている。数十年前ならば、このような脚本になったか、また演じきれる中華女優がいたか、疑問である。
マギー・チャンはもともと平板な丸顔で、アジア人らしいやや幼い顔立ちをしている。本作品では目を切れ長にみせ、剣の実力もある大人の女となっている。「宗家の三姉妹」「ラブソング」「花様年華」と、ここ数年の出演作には、年相応の女を魅力的に演じることができる、安定感ある大女優といった感がある。

梁朝偉(トニー・レオン)は武侠映画むきの俳優とは、正直思えない。どちらかというと、優男。特に逞しい体をしているというわけではない。優れた俳優であるので、危なげなく殘劍を演じているものの、剣の達人であるという設定には違和感が残る。
李連杰(ジェット・リー)は登場場面が多いにもかかわらず目立たない。無名は話の結末を飾る主要な役柄であるが狂言回しに徹している。主演作品も多いアクション俳優であるにもかかわらず地味である。色気のある役どころをトニー・レオンにもっていかれているところもあろう。が、これはジェット・リーの資質としてのストイックさが、映画の引き締め役として効果的に使われているとみることもできる。
長空は甄子丹(ドニー・イェン)。監督の印象が最近強い。日本で釈由美子の修羅雪姫のアクション指導で注目されたためか。秦王は陳道明。

ストーリーはあるようで、ない。画面の美しさと役者を鑑賞する作品である。

「英雄 HERO」
2002年 中国 監督:張藝謀(チャン・イーモウ) 
posted by 夏居 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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