2004年10月13日

『<美少女>の現代史』

男性からみた「美少女」をキーワードにしたマンガ論および現代日本文化論である。「視線としての私」についてさいごに少し触れられているところが気になり、通読する。

一般的に女性は男性よりも視線をあびる客体であることを意識する機会が多いのに対し、男性は女性の視線をうけとめることに慣れていないことが指摘されている。実体をもたない「視線としての私」である男性読者にとっての美少女キャラが蔓延する。そして「萌え」という行動が生じる、というのが本書の趣旨であろう。その中で、最近では女性も「視線としての私」として、男性を見る立場に行動を拡大させつつあることも、戦隊モノにでてくるイケメン俳優人気などを例に触れられている。

さて、中華明星や韓国俳優に対して日本人女性ファンは、「萌え」の状態といってよろしい。もちろん、日本人の芸能人を熱心に応援する日本人女子も多い。しかし、中華明星迷やら熱烈な韓国俳優ファンには、いわゆる「ヲタ」のにおいがつきまとう。もっともヲタ=「おたく」に対して最近では、宮崎勤事件のころのネガティブな印象はうすれ、文化を支えている当事者という認識が優勢になってきつつある。

異文化圏に対する方が、対象をよりキャラクター化しやすく、「視線としての私」の立場を獲得しやすいのではなかろうか。女性の場合、社会的に「客体としての自分」でもあることから、視線をそそぐ先をずらすことが多くなりがちになる、ともいえる。このあたり、虚構の世界であるタカラヅカのファンにも相通ずるものがある。

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私にしても、「日本のコミックからアジアを代表するポップグループがうまれたという現象がおもしろい」なんて理屈をいっているが所詮「F4萌え~」の一言で片づけることができるのである。


『<美少女>の現代史』
ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書 2004年5月 700円
posted by 夏居 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 単行本・マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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『<美少女>の現代史』

男性からみた「美少女」をキーワードにしたマンガ論および現代日本文化論である。「視線としての私」についてさいごに少し触れられているところが気になり、通読する。

一般的に女性は男性よりも視線をあびる客体であることを意識する機会が多いのに対し、男性は女性の視線をうけとめることに慣れていないことが指摘されている。実体をもたない「視線としての私」である男性読者にとっての美少女キャラが蔓延する。そして「萌え」という行動が生じる、というのが本書の趣旨であろう。その中で、最近では女性も「視線としての私」として、男性を見る立場に行動を拡大させつつあることも、戦隊モノにでてくるイケメン俳優人気などを例に触れられている。

さて、中華明星や韓国俳優に対して日本人女性ファンは、「萌え」の状態といってよろしい。もちろん、日本人の芸能人を熱心に応援する日本人女子も多い。しかし、中華明星迷やら熱烈な韓国俳優ファンには、いわゆる「ヲタ」のにおいがつきまとう。もっともヲタ=「おたく」に対して最近では、宮崎勤事件のころのネガティブな印象はうすれ、文化を支えている当事者という認識が優勢になってきつつある。

異文化圏に対する方が、対象をよりキャラクター化しやすく、「視線としての私」の立場を獲得しやすいのではなかろうか。女性の場合、社会的に「客体としての自分」でもあることから、視線をそそぐ先をずらすことが多くなりがちになる、ともいえる。このあたり、虚構の世界であるタカラヅカのファンにも相通ずるものがある。

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私にしても、「日本のコミックからアジアを代表するポップグループがうまれたという現象がおもしろい」なんて理屈をいっているが所詮「F4萌え~」の一言で片づけることができるのである。


『<美少女>の現代史』
ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書 2004年5月 700円
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