2004年10月31日

『カンフー・ハッスル』舞台挨拶付き(東京国際映画祭)

雨の渋谷でしたが、映画祭は続いています。
さて、特別招待作品の『カンフー・ハッスル』、来年早々に日本でも劇場公開するということで、無理してみることもないかなぁ、と思った。が、周星馳の舞台挨拶つきというんで、一般発売初日にチケット確保。3分で完売というニュースがでてましたが、そこまででもなかったような。

文化革命前の中国。どことなく『上海灘』を思い出させる街並みや、かの九龍城を連想させる雑居アパートが舞台となるが、セットがどことなく安っぽいのが、らしくてよろしい。
ストーリーの詳細は、これから観る人がいらっしゃることなので、省略する。はじまってしばらくは地味でややたるいが、後半は星馳節が炸裂する。派手なアクションと馬鹿馬鹿しい特撮のてんこ盛り、脇にはほろっとさせられる清楚なラブストーリー。単純に、楽しめて、あとに残らない。お子様にも安心して勧められる。
主演なのに星馳の出番が少なかったのは、たぶん俳優よりも監督や脚本、制作に集中したかったためと思われる。ナンセンス・カンフー映画なので、日本でも一般うけすることは間違いないが、俳優・周星馳が動いているのをみるのが好きな迷には、物足りないかもしれない。

舞台挨拶の周星馳は、監督・周星馳だった。3階からも、緊張していることがわかった。受け答えも実直で真面目。「これからも皆さんの期待に応える作品をつくっていきたい」とか謙虚なのだ。サービス精神は言葉ではなく、大勢が舞台にならんでパフォーマンスをやることと衣装で発揮。スクリーンの中で広東語を早口でまくしたてて表情豊かに馬鹿やって人をこづいたりしている、よく見るとかなりの男前の周星馳とは異なった。役者がスクリーンで演じる姿って、やっぱり幻影なのである。司会のおねえさんは「かわいい」とかいってたが、立派なおじさまである。映画監督って、それも成功してしまった監督って、大変なのねぇ。

日本で香港映画というとカンフーや少林寺をテーマにしたものが大きく取り上げられて大手の配給ルートにのる。動きが派手なのと、従来のイメージに沿ったものだからだろう。周星馳の作品でも『食神』など、日本でも公開されているのだが、『少林サッカー』ほど大々的に取り上げられなかった。言葉の細部がわからなくったって十分面白いのになぁ。その点、『カンフー・ハッスル』は売れ線をハズしていない。

私は3階席で鑑賞したが、2階、3階とも空席がけっこうあった。足下も悪いことだしチケットとったもののいかなかった人もいるのだろうが、勿体ない。観たくても観れなかった人も大勢いたと思われるのに。スクリーンがみにくくなるためわざと人をいれてない席もあるのかもしれないが、舞台挨拶つきだったら、なおのこと、見たい人は一人でも見えるようにしたほうがよいように思えるのは素人考えか。

会場が六本木と渋谷にわかれていること、ちらちらと人様のBLOGをみると不評である。六本木ヒルズ、会場の雰囲気としてはいいのだが。JRや地下鉄だと渋谷と六本木は行き来しにくい。車で移動する分には近くて便利。六本木ヒルズー渋谷間はバスが運行しているのだが、これは無料配布しているパンフレットに大きく書かないと気がつかない人もいるかもしれない。
東京国際映画祭は、一般にも大きく宣伝しているにもかかわらず、マスコミや映画関係者以外の観客に対しては、残念ながらちょっと冷たいんではないか、と思ったりもする。チケットがとりにくかったり、行ってみれば空席があったりということも含めて。映画でごはんを食べている人中心なのは当然とはいうものの、大々的な広報からつい運営にまで期待しすぎてしまう普通の映画好きとしてはやや寂しい。チケットの値段は良心的だし、内容的にはラインナップはいいし豪華ゲストを生で見ることができたりして、文句ないのだが。


『カンフー・ハッスル』
監督:周星馳(香港 2004年)
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2004年10月30日

朱考天くんアルバム発売イベントとな

なんだか久しぶりにF4である。考天くんのアルバム12/6に発売とな。イベントもあるとな。

マジで台湾いくか、考えている自分が怖い。台湾・香港には久しく行ってないし、いいチャンスかも。いつのまにか航空券の値段しらべてるし。結構割安な時期だな、と。
夜便でいって、いつもの節約コースをとるか。節約コースって、ここに書くのも恐ろしい、Jerry君も真っ青の倹約宿泊方法であるが野宿ではない。念のため。

仕事の都合は、とカレンダーをみたら、これはまずい。12/2と6、前後がはずせない、さぼると殺されそうなことになっているでないか。いや、ふだんたいした仕事してないんだけど、こういうときに限って、とぶつぶつ。これでもいちおう社会的信用ってのもあるし。無理すりゃなんとかなるけど、帰ってこれなくなると洒落にならんからなぁ。理性は保っているのである。
結局ファンクラブにもはいりそこねたし、これは今回あきらめろ、ということか。うむ。が、しかし。しばし逡巡しそうである。

さて、こうさぎさんをつれてきた。名前はなんとなくヴァネ。落ち着きがないから。Macromedia Flash Player 7がはいっていたら見えるらしい。開発元については『Internet Magazine』の12月号
にとりあげられてた。
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2004年10月29日

『 狂放』(東京国際映画祭)

東京国際映画祭が続いています。本日は日中の渋谷に行ってきました。『狂放』という台湾映画です。以下、とっても辛口なんで、明日の上映、もしくはどこかでこれから観る方は観てからお読みくださることをおすすめします。

高校卒業して、なんとなくぷらぷらしている台湾の若者たちのおはなし。刺青いれたりクラブで踊ったり。大学に行っている子もいるけれども。画面も暗めで、久しぶりに映画を観ていて眠くなった。主要な登場人物が男の子2人女の子1人の3人なのか、あともう一人の女の子もいれて4人なのかもよくわかんなかった。男の子ふたり、女の子ふたり、それぞれの区別もつかなかった。男の子同士、女の子同士で同性愛やってるってことはわかるんだけど、だから? ってかんじ。それなりに物語はあるみたいなんだけど、過程が省略されているから、ラストもなんでこうなるのか、さっぱりわからんのである。

私は結構あちこちでほめられていたイラン映画『ブラック・ボード -背負う人-』を映画館で観て爆睡した感性の持ち主である。タイトルど忘れしたが結構評判だった香港のインディーズ映画も眠かった。なので、観客に問題があると片づけていただいてもいいのだが、台湾の現代風俗を描いた映画を日本人の観客がみているから、ということもあるような気がする。日本には高校卒業してうだうだしている若者なんて、何年も前から掃いて捨てるほどいて格段珍しいことではない。
日本には彼らを主人公にした、地味めの秀作映画も多い。なので、この作品に描かれた若者たちは、どうもパンチ不足なのだ。大学受験に熱をいれ、台北の駅前に予備校が乱立している台湾ではエッジな部類の若者なのかもしれないけど。
日本以外のアジア圏のここ数年のうだうだ系若者を描いた映画としては香港のフルーツ・チャンの『メイド・イン・ホンコン』がまず思い出されるが、この作品にあるような時代背景や場面の作り方からくる切なさも感じられなかった。

なにか言いたいことがあるってのはわかる。過程の省略も意味のあることかもしれないし、プロットの構成とか、場面の切り替えとか、工夫しているのはわかるから手厳しいことをいうのは酷ではあるのだが。


『狂放』
監督:レスト・チェン (2004年 台湾)
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2004年10月28日

『スゥイングガールズ』は『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ

のっけからなんなのだが『スゥイングガールズ』は矢口史靖監督による『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ作品である。

題材は違えど、コンセプトはまったく同じ。構成も展開もまとめ方も同じ。ボーイズをみた人にむけて、あえておんなじにしているんでしょう、監督、と声をかけたくなる。夏のボーイズに対して、冬のガールズを意識してみたり。女の子たちはがんばっているけど、主演の上野樹里ちゃんまで印象が薄いのは、この映画が監督のための作品だから。

ボーイズ同様、ガールズも健康的で楽しい作品に仕上がっている。途中のいろんなエピソードは、もうおかしくて仕方がない。映画館では何度も爆笑の渦がおきる。この監督らしいベタなウケ狙いは成功している。

なので、ボーイズのテイストを気に入った者にはたまらない作品である。矢口史靖の世界では、地味でマジメな普通の子の青春という側面はハズせない。『アドレナリンドライブ』や『パルコフィクション』も含めて。これはたぶん、八十年代以降に高校生だった人たちにはなんとなく共感できる感覚だろう。とりたてて何が不満ってことはないんだけど、なんとなくもやもやした感じ。目立ちたいとか世の中に対してなにかしたいっていうんじゃないけど、ちょっともの足りない、みたいな。
レディースデーの水曜日、日比谷シャンテ・シネは満員。


スゥイング・ガールズ
監督:矢口史靖 (2004年 日本)
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2004年10月27日

貧富の格差はあれども楽観論

コメントのお返事かいてたらまた長くなったので独立させちまいます。

なんやかんやといったって、世界はけっこうゲンキンである。今の日本ではアジアよりアメリカのポップカルチャーのほうがメディアにのりやすいのは、単純にアメリカのほうがお金持ちだから、という側面がある。お金があれば人をおどろかせるような作品をつくることは、おそらくは、ないよりも容易い。広告や宣伝にも費用はかかる。政治的・経済的な関係にしても、往々にしてお金持ちの国のほうが優先される。みんなが関心をもつから情報もはいりやすい。
韓流ブームとて、韓国が経済力をつけてきたことと無縁ではないだろう。先日コメントした 『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』によると、台湾でも2001年に韓流ブームがあったとのことだが、制作費が安く日本ドラマに似たものとして韓国ドラマがうけたらしい。しかし、日本の韓流ブームは、制作費の安さ故ではない。『冬のソナタ』が爆発的人気をよんだのは、そのクオリティによる。ゲンキンな日本はお金持ちの国なんである。

中国・台湾やほかの国が経済力をつけていくにつれて、状況は少しずつかわるだろう。
台北にはじめていったのは、1998年。そう昔のことではないのだが、その頃なかった地下鉄が今はできている。
バンコクもすさまじい。このあいだ、4年ぶりにあそびにいったら、ここは香港か、と見まがうばかりになっていた。あちこちに建築中の建物がある。高級ファッションビルが何軒もできていて、化粧品やらお洋服やら、得られているものは日本と同じ。値段も同じ。M.A.C.の化粧品売り場では若いタイの女の子が化粧してもらってた。屋台の汁そばが50円程度の、タイの庶民の物価からすると、とんでもない値段でないかと思うのだが、街には制服姿の中高生がいっぱいふらふらしている。4年前は学生が街であそんでたりしなかったよな、ということはやっぱり中産階級層の生活が豊かになっているんだろう。

ただ、これらは首都でのこと。台湾はともかく、タイの地方都市や田舎がどうなっているのかまでは、行ってないからわからない。先富論というやつかもしれない。私がみてきたものは、私がみたものでしかない。が、中国だけでなく、アジアの国々のここ10年の成長はめざましいことは、おそらく間違いない。そして、よく指摘されていることだが、これらの国の子供や若者は元気だ。

矛盾はいろんなところにある。すぐになにかができるというわけでもない。まずは、関心を持ち続けること。できれば自分の目でみること。何故って、面白いし楽しいから。文化的なちがいとか歴史的背景とかの知識はそうこうしているうちに身についてくる。なにかやりたくなったらやればいい。あと、自分たちの足下を崩さないようにすること。
自分が年老いた頃、これらの国々の今がテレビやインターネットをつければ流れ込んでくるようになることを楽しみにしている。楽観的なんである。







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2004年10月26日

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』

東京国際映画祭です。六本木ヒルズって、いくたびに砂上の楼閣という言葉が頭に浮かぶんですが、世界から俳優女優監督プロデューサーそのほか関係者がやってくる映画祭の雰囲気と一致しています。あちこちにはられたポスターが気持ちいい。映画は一瞬の夢を見る娯楽だもんね。さて、本日は『ライス・ラプソディー』(海南鶏飯)という作品をみてきました。

主人公はシンガポール一の海南鶏飯屋さんの女主人のお母さん。海南鶏飯とはシンガポール名物のチキンライスのことである。3人のお年頃の息子がいるがどうも3人ともゲイらしい。お母さんとしては、せめて高校生の三男だけでも女性と結婚して孫を見せてくれないか、と考えるわけだが、さていかに、というおはなし。フランス人の女の子をホームステイさせたり、彼女に惚れてる近所のおじさんが海南鴨飯を開業したり、魅力的な登場人物たちが物語を賑やかに展開していく。脇役となる長男、次男の恋の進展も楽しい。
同性愛を扱った映画には見応えがある佳作が多い。愛情に対して繊細に向き合わざるを得ないからだろう。この作品も例外ではない。ゲイをテーマにしたほかの作品のほとんどが当事者を主人公にしているのに対して、この作品は、ゲイの息子をもつ母親を主人公にしているところが斬新で、そしてその設定は成功している。決して頭の固い母親ではない。でも母親としての希望や我だってある。息子たちを愛する現代的な母親だ。この母親をシルビア・チャンが熱演している。
舞台がシンガポールというのもいい。登場人物たちは英語と北京語を話す。自転車、水、と、熱帯の都会・シンガポールに似合うモチーフが効果的に使われていて、アーティスティックな映像も嫌みになっていない。音楽は日本の川崎真弘。
今日的なテーマを真面目に扱っているのに、軽やかで見終わったあとも爽やか。派手な作品ではないが、マニアックすぎる作品でもない。これから、Bunkamuraや岩波ホールなどで上映される可能性は大きい。『女人・四十』がいけたんだから、これもいけるはず。コンペティション部門ということだが、かなりいい線いくだろう。映画祭らしい映画でもある。

と、ベタ褒めしていますが、上映後のティーチ・インが楽しかったことも好印象の所以です。監督のケネス・ビィ、主演のシルビア・チャンにマーティン・ヤン、音楽の川崎真弘にエグゼクティブ・プロデューサーのロサ・リーと豪華な顔ぶれ。司会の紹介の前にみんなで前にでてきてしまったり、なごやかな雰囲気でした。
ケネス・ビィはまだ30代でしょうか。ちょっとWEBをひいたら、かのフルーツ・チャンの『花火降る夏』の音楽やってたとかで、映像感覚に納得しました。英語と北京語のセリフの書き分けをどうやって決めたのかについては、あんまし意識していなかったらしい。
作品タイトルについては人それぞれ意見があるようですが、私としては中国語タイトル、英語タイトルともこれでよいと思う。英語タイトルはたしかにわかりにくいかもしれないけど、チキンライス・ラプソディーじゃないしねぇ。日本語タイトルがこれからどのようなものになるのか、楽しみです。
特筆すべきはやっぱりシルビア・チャン。ショートカットで頭が小さくてかわいいの。スタイルはいいけど背が高い、というわけでもない。赤いショールはもってましたが、黄緑色のカットソーにパンツスタイルと、ラフなスタイルで大女優然としたところはなし。でも、ぼーっと座っていても常にみられる立場にある人はなにかが違う。亜週明星総覧によりますと、1953年生まれの大女優です。監督やったり、香港の金像賞で最優秀女優賞もらったり、けっこうなキャリアです。年齢なんて意味ないです。ロサ・リーもきれいな人で、おそらく年齢的にはシルビアより下でしょうが、人前にでると、女優とプロデューサーでは微妙になにかが違う。

このような監督・出演者を前に映画を語る場に、一般の映画好きが紛れ込むことができる映画祭はやっぱりたのしい。
最前列は報道陣で、うち8割方以上は女性でした。

帰りに麻布の海南鶏飯屋に立ち寄ろうかとふらついたが場所をうろ覚えでたどり着けず。映画に料理をからめるのは常套手段であるが、人間の別の欲求を刺激することは確か。

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』
監督:ケネス・ビィ 2004年
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2004年10月25日

大陸の貧富の格差の広がりというテーマ

かくしてアンテナも届き、めでたくBSがみえるようになりました。『流星花園』関係で恩恵がうけられるようになるのは来週のようですが、この週末テレビッ子と化しています。

さてNHKの『63億人の地図』が中国をとりあげていた。この番組が地図を上手くつかっているか、はおいといて、大陸の貧富の格差の広がりというテーマは、中華圏に興味を持つ者にとって外せない。
ドキュメンタリーにとりあげられている素材は、あくまでも取材陣がみたものだが、にしたって、今回取り上げられているのは現実の一部と思って間違いなかろう。
上海の富人区という地区がでてきたが、中国のお金持ちはすさまじい。日本人からみると、そんな大げさなともみえる設定の『流星花園』の道明寺のおうちみたいな家は現実にある。都市部の金持ちはとことん金持ちで、農村部は子供に教育を満足にうけさせてやることもできない。で、「民工」として都市部に出稼ぎにでて、その子供たちはとりあえず小学校までは「民工学校」に通っている。
気になった言葉として「先富論」というのがあった。先に豊かになれる者から豊かになれ、という?小平の言葉。現在では「共同富裕」を目指しているらしい。

いろんな見方ができるわけだが、いろんな面で他人事ではあるまい。現在の中華圏からは目が離せない。急激にうごいている。
中華明星は関心事のひとつなんで、農村部の女の子が登場したとき家にその手のものはないかと思ってみたが見あたらない。大陸でも明星やらなんやらに幻影をみいだすのは、都市部住民なのか。農村部では、まずは日々の生活か。大陸での明星消費について、はたして実態はいかなるものか、誰か調査してないか。
一つの大きな国家にはげしい貧富の差があるのはよいことだとはいわないが、現在のところ差がそれほど大きくない国でしか生活していない者からすれば、貧富の差がひきおこす様々な社会現象というのは、調査・記録しておく価値があるように思うのだが。いずれ解消されるという楽観的な観点からも。

BSのディベート番組では、中国から日本にきている留学生が「日本でも、文化交流のために今の中国のドラマや音楽を放送してほしい」というようなことをいってた。F4じゃなくても、大陸のドラマ『還珠格格』とかみたいんだが、手軽に見る方法はないか。
posted by 夏居 at 00:20| Comment(2) | 中華圏いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月23日

『Boys Over Flowers』です

先日、アメリカの地方都市にいったんですが暇をみつけて本屋さんをチェックしてました。本屋さんは何件かありましたが、うちショッピングモールにはいっている本屋さん、-といっても中規模のワンフロア店ですが-、がASIAN Comic - mangaが充実してました。フェアをやってて3冊買うと少し値引きしてた。

ASIAN Comicとしましたが、韓国の作者によるものが数シリーズあったくらいで、95%が日本のマンガです。1冊10ドル弱くらい。コミックは長いものだと数十巻におよぶことを考えると結構なお値段です。有名作品が英訳されてペーパーバックとなっているのですが、吹き出しの中のフォントがちゃんとコミックのフォントになっていたり、擬音も英訳されていたりして、絵柄はもちろん日本語版と同じなんですが、ずいぶん印象がかわっています。デザイン的にアメリカナイズされて、クールにはまってます。日本でいう奥付部分をみるとアメリカ人のエディターがクレジットされています。

だんぜん多かったのが高橋留美子。『犬夜叉』はフィギュアも売られていました。副読本(というのか?)のアニメ制作現場についての本まで英語版がでていた。ほかに記憶にあるのは、吉田秋生『BANANA FISH』、井上雄彦『SLAM DUNK』、竹内直子『セーラームーン』、あとCLAMP、鳥山明、などなど。日本でメジャーな作品ばかりです。マンガの描き方の本も並んでいました。

『花より男子』もありました。『Boys Over Flowers』ね。英語タイトルはいまAmazonで確認したんですが。つくしが、道明寺が、類が、英語しゃべってるんです。読者として嬉しい限りです。
すぐれた作品というのは、アジアでも北米でも通用するんだなとしみじみ。諸外国でうける作品をうみだすクリエイターの層が厚いことについて、日本は誇っていいと思うのですが、誇るまでもない時代となりつつあるのかもしれない。いや、一部のスポーツ選手や俳優の世界進出で騒いでいるところをみるとまだそこまでいってないか。

欧米やアジアにおける、マンガを代表とするいまの日本のヲタクカルチャー人気って、むかしむかし浮世絵が欧米でうけたことを思い出させます。100年後には、今のマンガ作家たちは歴史の教科書にのるような存在になっているんだろうな、と。20年ほど前には国語の教科書に『マンガを読むのは悪いか』といったようなテキストがのっかっていたことを思うと時代は明らかにすすんでいる。

アメリカにおける日本コミック輸入事情については昨年の今頃の『編集会議』に知人が取材記事を書いてました。参照しようと思ったのですが行方不明。
マンガやエンターテイメント小説の輸出は、出版不況を救う救世主とならないでしょうか。栗本薫の『グイン・サーガ』も英訳版の出版がはじまりました。今は文化輸出の好機かもしれん。


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東京MXテレビの『流星花園』サイト、次回予告が第4話になっていて一安心。『流星花園』をチェックするようになるまで、このテレビ局があることに気がつかなかったのだった。最近はたまにみてますがいつもテレビショッピングやってる気がする。

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2004年10月22日

朱考天くん初アルバムだそうな

朱考天国際専属後援会とかいうところにアルバム自主予約受付とかあったんで気になってたんだが、中華芸能ニュースで具体的な話をみて一安心。いーきんと小春くん、レコード会社まで同じだったんか、ということに今更気がつく。仲良しやね。小春の『夜生活2004』というアルバム気になってはいるんだが、うーん。買ってない。

しかし、この自主予約、気になります。Kenちゃんのアルバムだったら、歌において期待できるし。台湾でのイベント、タイミングがあえば行きそうな自分がいてとても怖い。

それよりもこの国際専属後援会には、申し込みしようとして忘れていて思い出して会費を振り込んでみれば、受付終了になっていて問い合わせ中なのだった。自主予約はこっちのかたがついてからですわ。

最近の中国情報局・田村さんの記事では張学友が『雪狼湖』を北京でやるってのも気になった。実はたまたま香港に行ったとき当日券でみたんですが、楽曲はなかなか完成度がたかいように思えた。たしかディック・リーによるものだったはず。学友は日に日にやつれていったというが、そりゃほとんど一人舞台だもんね。マイケル・ツェーががんばっててよかったんだが。しかし、冬の北京ですか。寒い。
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2004年10月21日

大散財の巻

嗚呼、ついに負けました。10年近く前に19800円ほどで購入したビデオデッキの下に、それよりかやや横幅のあるブツが鎮座していらっしゃいます。BSをみるためのチューナーです。HDD/DVDレコーダーも兼ねています。本日届きました。

購入するかどうかにだいぶ悩み、機種選定にだいぶ悩み、どこで買うかにだいぶ悩み、で、思い煩っているのが面倒になった挙げ句です。わりと大きな買い物なので。
テレビをみる習慣はあまりありません。選択する余地の少ない受け身の娯楽ってのは飽きます。つけっぱなしで流しておくってのも嫌いだし。
学生のときは、はじめはテレビなし、後半は拾ってきた白黒テレビで生活していましたが、あんまり困りませんでした。未だにその延長でテレビをもってません。場所とるし。
なのでBS見えるようにしてもいったい見るのか、というところでさんざん悩みました。が、見たいものはみたいじゃないか!! BSチューナーはこれから価格が下がるとは思うが、見たいのは今だし。時間があるのは今だし。自分に言い訳しておけば、半年後に引っ越しで行き先は地方都市で映画館も少ないんで、有料放送の導入も検討してもいいくらいではないか、と。荷物を増やしてどうするんだ、というのはおいといて。

こいつらのせいで財布が軽くなっていく、と東京MXテレビの『流星花園』サイト眺めてるんですが、次回予告が放映済みの第3話ってのはまずかろう。

どうせなんでHDD/DVDレコーダー搭載型を長期保証に加入できてポイント還元率の高いとこで購入。HDつんでるものは、長期保証にいれてやりたい。ちなみに購入したブツは、普通はチューナー内蔵型HDD/DVDレコーダーというらしくって、HDD/DVDレコーダーとして売られてます。テレビ搭載型のチューナー(逆)も量販店の店舗まで見に行きましたが、テレビが馬鹿でかいんで却下いたしました。

結局こういう映像機器を導入する動機ってのは、みたい番組があるからというところにつきるようです。むかし東京オリンピックとか美智子さんの結婚でテレビが売れた、というの、よくわかります。
最近ひとさまのブログを適当にみてると、モーニング娘。のためにHDDレコーダー購入したとかその類の記録がみられまして、ああなるほど誰しもねぇ、と納得する次第。
ちょっと高額なデジタル機器の購買層ってのは働き盛りの社会人だと思うのですが、いまどきのそのへんの年代って興味が多岐にわたっている。にもかかわらずインターネットで簡単に見たい番組についての情報がえられるわけで、そういうふうにして有料放送とかAV機器って売れているのかもしれないなぁと。

視聴するためのテレビがノートパソコン、というのが哀れです。USB接続なんでリモコン操作にタイムラグがあるし。画質にはあまりこだわってません。とりあえず見えればいい。テレビは液晶で画質がよくってデザインもかっこよくて手頃なものが普及するまでいいや。

とりあえず地上波アナログは映りました。まだBS日テレは映りません。アンテナがない。もちろん発注済みです。土曜日までに届くと、流星花園IIの最終話がみえるんだけど。
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2004年10月20日

トニーさんに200人

トニーさんが来日したそうです。空港に200人って、成田までいった方々、みんなトニーさんの姿をみることができたんでしょうか。

よくわかんないんですが、明星の空港お出迎えって、公式行事なんでしょうか。サイン会とか握手会とか記者会見とか舞台挨拶とか、客を相手にしたもんじゃないように思えるのですが、でもどうもそうでもないらしい。報道陣は行っている。マスコミもいってしまえばお客さんの代表でしょう。「この日のこの便に乗るからね」ということが公表されてるんならば、とりあえずパブリックな場なのかなぁ。こういうときの人数って人気があることの証として宣伝になるし。

熱心な迷は、便はわからなくともスケジュールから推察して空港に出向いたりもしているみたいです。好きな明星を一瞬でも生でみたい、というのはわからんでもないです。迷としては、移動中だと、サイン会とか握手会とか記者会見とか舞台挨拶とかいった公式の場とはちがったリラックスした表情がみえるかも、という期待があるのはよくわかります。そりゃまぁ、私とてトニーさんの寝癖姿見たくないかといわれればみたいです。が、どうも半ばプライベートみたいなところにはあんましわざわざ出かけようという気は今のところおきません。報道された写真は面白がって見てますが。
亡くなってしまった某大明星がコンサートで来日したとき、移動を張っていた迷が大勢いたみたいですが、なんかちがうなーと思いました。そりゃ見たくないかといわれれば見たいですが。新幹線にみんなでおしかけてもねぇ、と思った記憶があります。明星もヒトなんだし。
もっとも、賑やかしてやってもよさそうで、自分の都合とテンションがあえば、この限りではありません。基本的に明星は公式な場や作品を楽しむのがよろしい、というのが私見です。

移動見たさのファンってのはスポーツ選手やら政治家やらの場合もいますね。そういえばワールドカップのときはサッカー選手の移動みたさの人たちが賑やかだったみたい。みんな、なんかに集団で熱狂したいのかもしれない。
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2004年10月19日

『Fantasy 4ever (煙火的季節)』

通勤のお供となっているMP3プレイヤーには、当然のごとくもっているアルバムは突っ込んでいます。『Fantasy 4ever (煙火的季節)』、私の持っているのはおまけVCDがついた台湾版です。どうでもいいんだけど、iTunesに読み込ませようとしたら曲のタイトルも自動で読み込んだのには感激しました。さすがはSONY。って、最近まともにCDを買ってないのがばればれですが。

よいアルバムです。はい。ホンハム演唱会のVCDでの映像が頭に浮かぶから、ということもありますが、構成も曲もよくできてます。4人での『絶不能失去ni』やら『煙火的季節』、『Ask For More』なども耳に残りますが、朱考天の『晴天』、朱考天とヴァネスの『當ni是朋友』あたりも何度でもききたくなります。スタジオも相当努力してるらしいですが、このアルバムをきくかぎりKenちゃんはイケます。声がやや高めでちゃんとのびている。ヴァネスはラップがかっこいい。四人の歌唱力には差がある、というのは定説らしいですが。まぁ、はじめはなんでも声出して踊っていればよろしいと、促成栽培の特訓で無理させたんでしょうしねぇ。
F4の音源関係ではほかにも2枚ほど保有していますが、どうしてもこちらの4人でのアルバムをききたくなります。
『第一次』は、ジェリー君がんばったねアルバムでわりと普通なんですわ。ジェリーが一生懸命プロモーションして働いたおかげでいっぱい売れてめでたいことですが、楽曲そのものには飛び抜けた色が感じられないのは、思い入れがまだそんなにないせいか。

はい、F4迷を自称しておりますが、『流星雨』持ってません。最近BS導入計画をやってまして余裕がないのです。テレビ専用機持ってないのに。ついに我慢できなくなってきました。
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2004年10月18日

『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』

台湾では日本のポップカルチャーが大人気だという。今日もw-indsのチケットが台湾で23分で完売したというニュースが目を引いた。日本びいきの若者たち、 哈日族とはなにか、日本のなにが台湾の若者にうけているのかを歴史的背景とからめてある程度まとめられている。著者は台湾在住の30代フリーライター。エピローグで述べているように、本書は社会学的に客観的な統計データを挿入しようとした結果、台湾の大学院生の修士論文からの引用が多く、著者の独自の観点からの考察はそれほど多くなく、中華圏文化に興味がある者からみると正直いって物足りない。しかし、注目すべき記述はある程度見られる。

台湾の若者の日本ポップカルチャー好きはドラマからはじまったという指摘は興味深い。いわゆる「トレンディドラマ」「ポストトレンディドラマ」が90年代前半にケーブルテレビで放映されるようになり、日本の役者、音楽、生活、そのほか諸々が親しまれるようになったという。 そして哈日族は一時的なブームで終わるかとおもいきや、10年以上も続いている。

本書では2001年の台湾での韓国ドラマブームにも触れている。さらに、今後アジアの各地が流行発信源となり、ポップカルチャーが相互に流通するようになる可能性も述べられている。

首をかしげざるを得なかったのは、台湾発ポップカルチャーについて、『台湾のポップカルチャーが日本でも受け入れられることもあるのであろうか』というくだりである。エピローグの章は2004年の4月に書かれている。2004年10月の日本の状況はといえば、台湾発のポップグループが表紙の雑誌が一部地域で品薄になっているんである。2003年10月に「流星花園」のメールマガジンははじまっている。著者は、その気配を感じることはなかったのだろうか。そもそもこの台湾発ポップグループをみるがために台湾へわたった日本人は、2001年の初舞台の時点からいる。
もっとも、首をかしげざるを得ないのは、私がふつうの日本人よりも中華ポップカルチャーに親しんでいるからである。一般的な、メディアがターゲットとする日本人からすれば、中華圏のポップカルチャーはまだまだ視野の範囲外という状況なのかもしれない。

また、『台湾ドラマはしばしば「女性の献身、貞節、忠誠」が強調されて古くさい』という記載もある。だとしたら、2001年の『流星花園』はかなり画期的だったのではなかろうか。先日のNHKの中国語講座で朱考天が答えていたように、なにもかもが新しかったのかもしれない。
残念ながら本書では『流星花園』についての記述はない。台湾のドラマで若者にうけたドラマとしては、本書ではサスペンスドラマ一作が挙げられている。この日本のコミックを原作とする傑作ドラマがなんで抜け落ちるんだ、と疑問に思ってしまうのはただの迷だからだろうか。

ある国にいても、その国の大衆にうけているもの、話題になっているものは案外目につかないのかもしれない、と、私の個人的な経験から思いもする。興味の範囲外のものは抜け落ちてしまう。所詮インテリのお客さんなのである。

『流星花園』以前の台湾のテレビドラマが、本書が述べているようにお寒い状況だったとしたら、台湾ドラマブームが日本を席巻するのはかなり厳しいだろう。日本で話題になっているのはF4関連のドラマばかり。これだけだと、いずれ底をつく。F4以外の台湾のタレントが日本人の心をとらえるかどうかもポイントだろう。
もっとも、台湾だけでなく大陸まで含めた「漢流」ブームの可能性はなきにしもあらずだが。


『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』 
酒井亨 著 光文社新書  2004年5月 700円
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2004年10月17日

明星ブランド論 その2

『明星ブランド論 その1』にいただいたコメントにお返事かいていたら長くなってしまいましたので、その2としてだらだらつづけます。

明星は不特定多数の迷の愛をうけとることもお仕事だったりして、大衆はそういう存在を必要とする。で、大衆というのは恋愛という行為に気づいた10代の女子もしくは男子だけではない。たしか20年くらい前は、日本でアイドルにきゃーきゃーいっているのは、圧倒的にティーンエイジャーだったような気がしますが、最近、どうみてもおじさん、おばさんとしかいいようがない世代もアイドルを求めている。もっともここでいうアイドルには、女子アナとか政治家、スポーツ選手なんかも含む。おじさんの女子アナ好きとか。
日本の中華明星迷は、特に20代後半から30代の女性が中心となっていて既婚者も多数含んでいるというのは興味深いところ。また、かの韓国では中華明星を含めたアイドルに熱中するのはティーンエイジャーであり、実際に彼氏ができるとアイドルはそっちのけになる、という話をきいたことがありますが、これも興味深いところです。

実際の恋愛でもイメージ(幻影)の投影という側面はあるわけだが、対象となりうる人には、気持ちをうけとってもらえるかどうかわからない。誰かを愛するってのは結構気持ちのいいことであり、アイドルはその対象になり得る。明星の商品を買いあさっているとだんだんその明星に貢いでいるような気分になってくる。アイドルはイメージ(幻影)の投影の対象であって、自分がなげかけたイメージを愛するのは、すなわち自己完結である。明星に熱狂するのは疑似恋愛ともいえる。幅広い年代にわたってイメージの投影対象が求められている社会であるからこそ、ブランドが成り立つ、とも考えられる。
戦争を経て、高度成長期を経て、そしてたどり着いた現在であり、常に我々はイメージ(幻影)を追い求めている。我々というのはとりあえず日本の大衆。

アクセス解析をみていて、キーワードが「チェ」「ジウ」「アイコラ」でここにたどり着いた方がいらっしゃるのに気がついて苦笑しましたが、異性に対する男性側の妄想というのを受け止める女明星、女子アナ、女性タレント、というのは同じ女子からしてみれば、なかなか精神的にタフでないとつとまらないお仕事に思えます。同じ性的なものを含む妄想でも、男性の場合対象に対する直接的な暴力性を含むことがとても多い。
1985年に「アイドルはやめられない」と秋元康作詞の『なんてったってアイドル』で元気に笑い飛ばした小泉今日子はこのあたりを体感していたものと思われます。女性側、ときにゲイの方々の妄想の対象になる男性タレントも、それはそれで精神的な負担はあるでしょうが。

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さてはて、東京MXテレビの「流星花園」は第3話でした。仔仔がちゃんと花沢類になっている。階段をおりるヴァネス君は美作じゃなくってヴァネスだね。原作ではやや手を抜かれていた美作くんがヴァネスによって存在感を改めました。

続けてみるNHKの『美しき日々』、美男美女の純な大人の世界。イ・ビョンホンはスーツの似合う男前。なんで父親とあれほどに仲が悪いのに父親の会社にいるのか、というツッコミはおいておく。
posted by 夏居 at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月16日

明星ブランド論 その1

さて、そこらへんのちょっと格好いいお兄ちゃんと明星との違いはどこにあるのか。

『流星花園』『ABCDEF4』と、F4のみなさんをみています。2001年、デビューしたての頃でして、みんな結構ふつうのお兄ちゃんです。『ABCDEF4』でスタッフと一緒にセットをお片づけしている様子、ぜんぜん違和感ありません。かんじのよいお兄ちゃんたちです。2002年のホンハムのDVDのオープニングでも、派手なペプシの衣装は着せられてますがリズム感のよいヴァネス君はともかくあとのお三方は、スポットライトがとても眩しそうでした。でも、彼らはF4なのです。アジア圏を席巻するアイドルたちなのです。

彼らは歌を歌いますが、格別上手いというわけではなく、迷でなくて生歌をきく機会があった人のレポートをみると●●(伏せ字)だそうです。踊りもしますが、これもまたヴァネスをのぞけば●●です。

こういってしまってはなんですが、彼ら、アジア人として格別に眉目秀麗、というわけでもありません。旭君はちょっとひとくくりにできない独特な容姿をしてますが、それでも角度によってはわりとそこらへんにいそうだったりする。おそらく、アイドルの見せ方ってのを日本ほど計算していないんだと思うのですが。
そりゃ背は高いし、ガタイやスタイルはいいし、顔立ちも整っている。が、街を歩けば結構、素材のいい男の子ってのはいます。台湾の男の子がってわけではなくって、日本でも最近、お洒落な美少年が電車でウォークマンきいていたり、ショップの店員だったり、はたまた住宅展示場につっ立っていたりします。

にもかかわらず、私たちはF4に熱狂します。アイドルにとって容姿は最大の売りのひとつであって、ひきしまっているほうが評価されるはずですが、明らかに太っても、関心がなくなるどころかそのことを話題にして喜びます。歌が●●でもOKです。踊っているのが動いている程度であっても、一生懸命なのね~と喜びます。ドラマだって、ただ出演しているってだけで見てしまいます。マスコミに流れる彼らの一挙一動が気になります。

何故、台北の光華唱片や渋谷の東急ハンズで働くかっこいいお兄ちゃんではなくてF4だったりV6だったりするのか。これは、ジャケットでもユニクロよりもアルマーニのほうが素敵、カバンもそこらへんのものよりかエルメスやプラダがいいの、というのとおんなじだと思うのです。つまり私たち大衆はブランドに価値をみとめて熱狂する。ジャケットなんて体を覆う機能があればいいし、カバンなんてモノがはいればいいんですが、私たちは対象にそれ以上のものを求めて余分な金銭を支払う。イメージに対してです。ヒトについてもおなじこと。もっともヒトに対しては、私たちはイメージ以上に相互のかかわりあいとかそのほか諸々を求めているわけですが。

アイドルはイメージを売っている。芸能人には歌だとか芝居だとか、芸を売り物にしている人も多数いるわけですが、彼らとて芸のみでなくそのイメージを売っている。いや、芸能人だけでなく政治家でも作家でも、不特定多数の人に身をさらして仕事している人は、好むと好まざるにかかわらずイメージを売っている。

よく知られたブランドには安心感と信頼があります。明星も広く知られるほど安心感がうまれます。格好いい街のお兄ちゃんのグルーピーになることはなくても、明星迷になるのは、その安心感すなわちブランド故でしょう。アイドルの人気は、いったんつくと加速度的にひろがります。
ブランドをつくるのは大衆である、ということです。モノでもタレントでも、最近はやりモノは制作者側によって仕掛けられることがとても多い。裏には入念なマーケティングや品質管理があったりする。が、それだけでは大当たりは狙えない。見せ方やマーケティングが緩くても、しっかりしたものがあれば、受け入れられる。

さて、ここで考えてみます。「流星花園」が作成されず、言承旭が言承旭にならず廖洋震として台北のセブンイレブンで関東煮なんか売ってたら、ヴァネスがあーろんか誰かのバックステージで踊ってたら、Kenちゃんが隣に住んでいて時々売れない役者をやってたら、仔仔が香港のマダムの囲われ者だったら、はたしてなにかを感じるでしょうか。
posted by 夏居 at 00:32| Comment(3) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月15日

ブログのゆくえ その1

数あるブログサービスからseesaaを選んだ理由の一つに「アクセス解析」なる機能が無料で利用できることがあげられる。これがやっぱり面白い。

単なるアクセス数だけでなく「時間毎のアクセス」ってのがみえるのですが、ブログをたちあげた頃はほとんど自分しかみていないんでは、てなもんだったのが、1ヶ月たった今では、どう考えても自分がアクセスしたとは思えない時間にみてくださっている人がいる。アクセス数も多少増えてきている。
「検索」ワードってのもみえまして、どんなキーワード検索でここにたどりついたのかもわかる。今のところ多いのは「ABCDEF4」。購入を迷ってらっしゃる方、コンサートDVDを気に入った方ならば一見の価値はありますんでおすすめしておきます。ファンからのお手紙に埋もれているヴァネス君など、見所満載です。一般的にバラエティ番組のDVDってのはあまりないんでは、とも思います。
「おっ」と思ったのは「藍宇」で検索してきていただいた人がいたこと。これも傑作映画ね。「やおい」の世界を映画化するって、なんで中華圏は上手いんでしょうか。『美少年の恋』とか。どうも「やおい」と中華明星迷にはクロスオーバーする部分があるようにみえます。中華明星迷のサイトをみると奥の方に、警告つきで妄想小説が隠れていることが多々あります。因みに私は「やおい」関係は栗本薫どまりです。『小説道場』を単行本で読んでいるだけでおなかいっぱいになりました。べつに嫌じゃないですけど。

さて、先日コメントした『<美少女>の現代史』(ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書)に「ブログは視線のさばき方を芸とする行為である」という指摘があった。端的な指摘だが、実際には視線の行方であるリンクを上手につかったブログは少ないのではなかろうか。
手軽な自己表現の手段としてブログは普及している。そこに+アルファの機能がはいる。忘備録、写真や画像の置き場、自己表現のさらにすすんだ自己アイドル化など。
ちなみに個人の意見の表明が盛んなアメリカでは911をきっかけにオピニオン表現の手段として普及し、もともと個人が日常を書き流す文化がある日本では日記として普及したという。ブログ普及の背景やその内容には、お国柄の違いもあるという記載をどこかで目にした。

注目すべきは、手軽なネットコミュニケーションツールとしてのブログの機能だろう。主に文章で構成されることが多いブログでは、作者のひととなり、もしくはネット上での人格が、これまでの掲示板や会議室よりもはっきりと形成される。伝えられるのは主に感情や感覚、ときにオピニオンとなる。他者はそれらをみた上で、作者とコミュニケーションをとることができる。この点が、知識や情報を伝えることが目的となることが多いホームページとは異なる。本や音楽、映画など一人で感覚的なものを得ることが多い趣味を他者と共有する楽しみを簡単に得るツールとして、ブログは強力だ。エンターテイメントが多岐にわたる今日、趣味が一致する人がまわりに、たとえいても数人ということが多いなか、同好の士と簡単にコミュニケーションをとることができる。そして趣味をはなれて他者とかかわること自体が目的化することもままある。

そんなわけで、ここんところ話題がF4や中華明星から離れていっているのにもかかわらず見てくださる人、コメントくださる方がいるのはうれしいことです。はい。
posted by 夏居 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | コンピュータ周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月14日

『CREA』 11月号

『CREA』 11月号である。ヨンさまのロッテ免税店の広告が表紙の(しつこいですが「さま」は名前の一部であって敬称ではない)韓流特集である。本人の写真を表紙にせず、広告看板を表紙にするってのは上手いなぁ。アングルもいいし、本人グラビアよりよほどインパクトがある。あまりの巧さについ購入。

中身もさすが『CREA』、映画特集・旅行特集を得意とするだけあって手慣れている。ヨンさまグラビアは、ぱらぱらめくって、49ページにある。この写真が表紙だったら買わなかった。
目をとおしておきたかったのは、韓国ドラマガイド。ドラマは全部見ようとおもったら、20時間は平気でかかる。レンタルで借りてくるにしても限られた時間、どのドラマがおもしろそうか、一応目星をつけておきたいので。が、特にみたい、気になるというほどのものは、今のところなし。ウォンビンもチャン・ドンゴンもいいんですけど。
ウォンビンの次回作の映画、『俺の兄貴』ってタイトル、いったいこのまま邦題になるんでしょうか? タイトルをはじめて目にしたときは上野のあたりで上映する映画かと思いました。カン・へジョンの『オールド・ボーイ』は気になる。

ところで、『POP ASIA』をみて気がついたのですが、アジアン俳優を誰彼となく「王子」と呼ぶようになったのはいつ頃からでしょうか。『CREA』がこの表現をつかっていたかは未確認。
明星の楽しみ方は人それぞれってやつですが、わたくしとしては、誰彼なくってのは違和感覚えます。ひいきにしている男明星は、間違っても「王子」ではないね。魔王様をやってのけるレスリーとか、華僑バックにお買い物をつめこんで日本から出国していく旭くんとか。謝霆鋒(ニコラス・ツェー)を「王子」といっているのはわかるんですが。この人は両親芸能人のサラブレッドで当然のように芸能人やってるし、いろいろ事件おこしてくれてるし、王道をいってますから。

日本の美男俳優に対しては「王子」なんていわないよな。自分で営業していた及川ミッチーのような例はありますが。異文化バイアス所以の現象でしょう。外見は日本人と似ていても、異国の人ってところが「王子」のミソ。
posted by 夏居 at 01:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月13日

『<美少女>の現代史』

男性からみた「美少女」をキーワードにしたマンガ論および現代日本文化論である。「視線としての私」についてさいごに少し触れられているところが気になり、通読する。

一般的に女性は男性よりも視線をあびる客体であることを意識する機会が多いのに対し、男性は女性の視線をうけとめることに慣れていないことが指摘されている。実体をもたない「視線としての私」である男性読者にとっての美少女キャラが蔓延する。そして「萌え」という行動が生じる、というのが本書の趣旨であろう。その中で、最近では女性も「視線としての私」として、男性を見る立場に行動を拡大させつつあることも、戦隊モノにでてくるイケメン俳優人気などを例に触れられている。

さて、中華明星や韓国俳優に対して日本人女性ファンは、「萌え」の状態といってよろしい。もちろん、日本人の芸能人を熱心に応援する日本人女子も多い。しかし、中華明星迷やら熱烈な韓国俳優ファンには、いわゆる「ヲタ」のにおいがつきまとう。もっともヲタ=「おたく」に対して最近では、宮崎勤事件のころのネガティブな印象はうすれ、文化を支えている当事者という認識が優勢になってきつつある。

異文化圏に対する方が、対象をよりキャラクター化しやすく、「視線としての私」の立場を獲得しやすいのではなかろうか。女性の場合、社会的に「客体としての自分」でもあることから、視線をそそぐ先をずらすことが多くなりがちになる、ともいえる。このあたり、虚構の世界であるタカラヅカのファンにも相通ずるものがある。

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私にしても、「日本のコミックからアジアを代表するポップグループがうまれたという現象がおもしろい」なんて理屈をいっているが所詮「F4萌え~」の一言で片づけることができるのである。


『<美少女>の現代史』
ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書 2004年5月 700円
posted by 夏居 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 単行本・マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月12日

永遠の初級中国語

いつの間にか講師がかわっていることに愕然としている中国語講座である。突発的に中国語の勉強をはじめたくなり、いつの間にかやめてしまったり、を大学で第二外国語で少しだけかじって以来3,4年周期で繰り返しているわけだが、継続していないので一向に上達しない。必要に迫られていないし。

思えば「ラスト・エンペラー」であった。大学に入学して第二外国語の選択を迫られていたころに見てしまった、ジョン・ローン主演の清朝最後の皇帝の映画である。音楽は坂本龍一。当時、一般にドイツ語を選択するところ、ふらふらと中国語をはじめてしまったのであった。が、所詮理科系学生の第二外国語である。なんとなく単位だけを集めて教養部の2年間を修了してしまう。専門課程がはじまると、そちらにおわれて第二外国語どころではなくなる。中国語やるんだったら、まず英語をなんとかしろ、という状態でもあった。
その後職についてから、中国語を勉強してみようかと、短期で先生についても、いつの間にかどうでもよくなることを繰りかえす。

コトバは、人が意思疎通する上での基本である。ある世界に親しみたいならばそこで使われているコトバを身につけたいと思うようになる。世界を構成するのは人だから。そして、強い国・経済的に豊かな国の言葉が世界に広まる。
人を語学学習に駆り立てる動機のひとつには異文化への単純な憧れもある。映画、音楽、最近ではドラマによって違うコトバを話す人たちに憧れる。もしくはほかの文化をバックグラウンドとする歌手や俳優・女優が自国のコトバを話すことによって、その国に親近感を持つようになる。人を楽しい気持ちにさせるエンターテイメントは、大きなエネルギーを持つ。
もっとも、一般的に経済力のあって余裕がある国ほど、娯楽の質も高い。ここのところ韓国や中国がエンターテイメントでも勢いがあるのは、国そのものの発展に密接に関係している。そしてこれらが日本でうけいれられていることを、経済的な関係と切り離すことはできない。そしてこれらアジア圏からの映画やドラマが広く愛されるようになり、コトバを学ぼうとする人は増え、関係はますます強まっていく。

むかし台湾を一人で歩いているとき、韓国人の男の子と出会った。英語で話をした。彼は言った。「アジア人同士が英語で話をしているってのも妙だよね。これからは、英語と、アジアの言葉どれかひとつが話せるようになるないと」。

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要は、NHKの中国語講座のKenちゃんこと朱考天インタビュー、しっかりした話の内容ですごくよかったのってことでした。「流星花園」よりもステージのDVDよりも、だんぜん格好いい。だいぶ株があがりました。流星花園のKenちゃん大活躍の場面まで放映さ。また勉強しなおしで、中国語講座見続けようかしら、ってことでした。われながら単純。

posted by 夏居 at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月11日

英雄 HERO

テレビ放映で「英雄 HERO」を見直す。


隅々まで計算しつくされた画面が美しい。構図、色使いに隙がない。人物の配置も狂言回しとしての無名、花形役者としての殘劍と飛雪および如月、ほかの者たちに命を狙われていることから話の中心となる秦王、起承転結の起となる長空、と無駄がない。またそれぞれに適切な役者があてられており、バランスもよい。「グリーン・ディスニティー」など、近年武侠映画(現代風中華時代劇)は豊作が続く。制作費3000万ドルは、中国史上最大というがこの作品ならば納得いく。

飛雪を演じる張曼玉(マギー・チャン)が存在感を示している。中華圏で今最も勢いのある女優である章子怡(チャン・ツイィー)に貫禄で勝っている。チャン・ツイィーも、トニー・レオン扮する殘劍にひたむきに仕え慕う侍女・如月をひたむきに演じている。殘劍のパートナーである飛雪は、トニー・レオンの相手役というよりもチャン・ツイィーの相手役としてみたほうが見所がある。
飛雪(マギー・チャン)と如月(チャン・ツイィー)の関係は昨今、経験を重ねた実力のある女が、評価されるようになってきた社会情勢とも密接につながっている。数十年前ならば、このような脚本になったか、また演じきれる中華女優がいたか、疑問である。
マギー・チャンはもともと平板な丸顔で、アジア人らしいやや幼い顔立ちをしている。本作品では目を切れ長にみせ、剣の実力もある大人の女となっている。「宗家の三姉妹」「ラブソング」「花様年華」と、ここ数年の出演作には、年相応の女を魅力的に演じることができる、安定感ある大女優といった感がある。

梁朝偉(トニー・レオン)は武侠映画むきの俳優とは、正直思えない。どちらかというと、優男。特に逞しい体をしているというわけではない。優れた俳優であるので、危なげなく殘劍を演じているものの、剣の達人であるという設定には違和感が残る。
李連杰(ジェット・リー)は登場場面が多いにもかかわらず目立たない。無名は話の結末を飾る主要な役柄であるが狂言回しに徹している。主演作品も多いアクション俳優であるにもかかわらず地味である。色気のある役どころをトニー・レオンにもっていかれているところもあろう。が、これはジェット・リーの資質としてのストイックさが、映画の引き締め役として効果的に使われているとみることもできる。
長空は甄子丹(ドニー・イェン)。監督の印象が最近強い。日本で釈由美子の修羅雪姫のアクション指導で注目されたためか。秦王は陳道明。

ストーリーはあるようで、ない。画面の美しさと役者を鑑賞する作品である。

「英雄 HERO」
2002年 中国 監督:張藝謀(チャン・イーモウ) 
posted by 夏居 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月31日

『カンフー・ハッスル』舞台挨拶付き(東京国際映画祭)

雨の渋谷でしたが、映画祭は続いています。
さて、特別招待作品の『カンフー・ハッスル』、来年早々に日本でも劇場公開するということで、無理してみることもないかなぁ、と思った。が、周星馳の舞台挨拶つきというんで、一般発売初日にチケット確保。3分で完売というニュースがでてましたが、そこまででもなかったような。

文化革命前の中国。どことなく『上海灘』を思い出させる街並みや、かの九龍城を連想させる雑居アパートが舞台となるが、セットがどことなく安っぽいのが、らしくてよろしい。
ストーリーの詳細は、これから観る人がいらっしゃることなので、省略する。はじまってしばらくは地味でややたるいが、後半は星馳節が炸裂する。派手なアクションと馬鹿馬鹿しい特撮のてんこ盛り、脇にはほろっとさせられる清楚なラブストーリー。単純に、楽しめて、あとに残らない。お子様にも安心して勧められる。
主演なのに星馳の出番が少なかったのは、たぶん俳優よりも監督や脚本、制作に集中したかったためと思われる。ナンセンス・カンフー映画なので、日本でも一般うけすることは間違いないが、俳優・周星馳が動いているのをみるのが好きな迷には、物足りないかもしれない。

舞台挨拶の周星馳は、監督・周星馳だった。3階からも、緊張していることがわかった。受け答えも実直で真面目。「これからも皆さんの期待に応える作品をつくっていきたい」とか謙虚なのだ。サービス精神は言葉ではなく、大勢が舞台にならんでパフォーマンスをやることと衣装で発揮。スクリーンの中で広東語を早口でまくしたてて表情豊かに馬鹿やって人をこづいたりしている、よく見るとかなりの男前の周星馳とは異なった。役者がスクリーンで演じる姿って、やっぱり幻影なのである。司会のおねえさんは「かわいい」とかいってたが、立派なおじさまである。映画監督って、それも成功してしまった監督って、大変なのねぇ。

日本で香港映画というとカンフーや少林寺をテーマにしたものが大きく取り上げられて大手の配給ルートにのる。動きが派手なのと、従来のイメージに沿ったものだからだろう。周星馳の作品でも『食神』など、日本でも公開されているのだが、『少林サッカー』ほど大々的に取り上げられなかった。言葉の細部がわからなくったって十分面白いのになぁ。その点、『カンフー・ハッスル』は売れ線をハズしていない。

私は3階席で鑑賞したが、2階、3階とも空席がけっこうあった。足下も悪いことだしチケットとったもののいかなかった人もいるのだろうが、勿体ない。観たくても観れなかった人も大勢いたと思われるのに。スクリーンがみにくくなるためわざと人をいれてない席もあるのかもしれないが、舞台挨拶つきだったら、なおのこと、見たい人は一人でも見えるようにしたほうがよいように思えるのは素人考えか。

会場が六本木と渋谷にわかれていること、ちらちらと人様のBLOGをみると不評である。六本木ヒルズ、会場の雰囲気としてはいいのだが。JRや地下鉄だと渋谷と六本木は行き来しにくい。車で移動する分には近くて便利。六本木ヒルズー渋谷間はバスが運行しているのだが、これは無料配布しているパンフレットに大きく書かないと気がつかない人もいるかもしれない。
東京国際映画祭は、一般にも大きく宣伝しているにもかかわらず、マスコミや映画関係者以外の観客に対しては、残念ながらちょっと冷たいんではないか、と思ったりもする。チケットがとりにくかったり、行ってみれば空席があったりということも含めて。映画でごはんを食べている人中心なのは当然とはいうものの、大々的な広報からつい運営にまで期待しすぎてしまう普通の映画好きとしてはやや寂しい。チケットの値段は良心的だし、内容的にはラインナップはいいし豪華ゲストを生で見ることができたりして、文句ないのだが。


『カンフー・ハッスル』
監督:周星馳(香港 2004年)
posted by 夏居 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月30日

朱考天くんアルバム発売イベントとな

なんだか久しぶりにF4である。考天くんのアルバム12/6に発売とな。イベントもあるとな。

マジで台湾いくか、考えている自分が怖い。台湾・香港には久しく行ってないし、いいチャンスかも。いつのまにか航空券の値段しらべてるし。結構割安な時期だな、と。
夜便でいって、いつもの節約コースをとるか。節約コースって、ここに書くのも恐ろしい、Jerry君も真っ青の倹約宿泊方法であるが野宿ではない。念のため。

仕事の都合は、とカレンダーをみたら、これはまずい。12/2と6、前後がはずせない、さぼると殺されそうなことになっているでないか。いや、ふだんたいした仕事してないんだけど、こういうときに限って、とぶつぶつ。これでもいちおう社会的信用ってのもあるし。無理すりゃなんとかなるけど、帰ってこれなくなると洒落にならんからなぁ。理性は保っているのである。
結局ファンクラブにもはいりそこねたし、これは今回あきらめろ、ということか。うむ。が、しかし。しばし逡巡しそうである。

さて、こうさぎさんをつれてきた。名前はなんとなくヴァネ。落ち着きがないから。Macromedia Flash Player 7がはいっていたら見えるらしい。開発元については『Internet Magazine』の12月号
にとりあげられてた。
posted by 夏居 at 00:48| Comment(2) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月29日

『 狂放』(東京国際映画祭)

東京国際映画祭が続いています。本日は日中の渋谷に行ってきました。『狂放』という台湾映画です。以下、とっても辛口なんで、明日の上映、もしくはどこかでこれから観る方は観てからお読みくださることをおすすめします。

高校卒業して、なんとなくぷらぷらしている台湾の若者たちのおはなし。刺青いれたりクラブで踊ったり。大学に行っている子もいるけれども。画面も暗めで、久しぶりに映画を観ていて眠くなった。主要な登場人物が男の子2人女の子1人の3人なのか、あともう一人の女の子もいれて4人なのかもよくわかんなかった。男の子ふたり、女の子ふたり、それぞれの区別もつかなかった。男の子同士、女の子同士で同性愛やってるってことはわかるんだけど、だから? ってかんじ。それなりに物語はあるみたいなんだけど、過程が省略されているから、ラストもなんでこうなるのか、さっぱりわからんのである。

私は結構あちこちでほめられていたイラン映画『ブラック・ボード -背負う人-』を映画館で観て爆睡した感性の持ち主である。タイトルど忘れしたが結構評判だった香港のインディーズ映画も眠かった。なので、観客に問題があると片づけていただいてもいいのだが、台湾の現代風俗を描いた映画を日本人の観客がみているから、ということもあるような気がする。日本には高校卒業してうだうだしている若者なんて、何年も前から掃いて捨てるほどいて格段珍しいことではない。
日本には彼らを主人公にした、地味めの秀作映画も多い。なので、この作品に描かれた若者たちは、どうもパンチ不足なのだ。大学受験に熱をいれ、台北の駅前に予備校が乱立している台湾ではエッジな部類の若者なのかもしれないけど。
日本以外のアジア圏のここ数年のうだうだ系若者を描いた映画としては香港のフルーツ・チャンの『メイド・イン・ホンコン』がまず思い出されるが、この作品にあるような時代背景や場面の作り方からくる切なさも感じられなかった。

なにか言いたいことがあるってのはわかる。過程の省略も意味のあることかもしれないし、プロットの構成とか、場面の切り替えとか、工夫しているのはわかるから手厳しいことをいうのは酷ではあるのだが。


『狂放』
監督:レスト・チェン (2004年 台湾)
posted by 夏居 at 00:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月28日

『スゥイングガールズ』は『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ

のっけからなんなのだが『スゥイングガールズ』は矢口史靖監督による『ウォーターボーイズ』のセルフパロディ作品である。

題材は違えど、コンセプトはまったく同じ。構成も展開もまとめ方も同じ。ボーイズをみた人にむけて、あえておんなじにしているんでしょう、監督、と声をかけたくなる。夏のボーイズに対して、冬のガールズを意識してみたり。女の子たちはがんばっているけど、主演の上野樹里ちゃんまで印象が薄いのは、この映画が監督のための作品だから。

ボーイズ同様、ガールズも健康的で楽しい作品に仕上がっている。途中のいろんなエピソードは、もうおかしくて仕方がない。映画館では何度も爆笑の渦がおきる。この監督らしいベタなウケ狙いは成功している。

なので、ボーイズのテイストを気に入った者にはたまらない作品である。矢口史靖の世界では、地味でマジメな普通の子の青春という側面はハズせない。『アドレナリンドライブ』や『パルコフィクション』も含めて。これはたぶん、八十年代以降に高校生だった人たちにはなんとなく共感できる感覚だろう。とりたてて何が不満ってことはないんだけど、なんとなくもやもやした感じ。目立ちたいとか世の中に対してなにかしたいっていうんじゃないけど、ちょっともの足りない、みたいな。
レディースデーの水曜日、日比谷シャンテ・シネは満員。


スゥイング・ガールズ
監督:矢口史靖 (2004年 日本)
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2004年10月27日

貧富の格差はあれども楽観論

コメントのお返事かいてたらまた長くなったので独立させちまいます。

なんやかんやといったって、世界はけっこうゲンキンである。今の日本ではアジアよりアメリカのポップカルチャーのほうがメディアにのりやすいのは、単純にアメリカのほうがお金持ちだから、という側面がある。お金があれば人をおどろかせるような作品をつくることは、おそらくは、ないよりも容易い。広告や宣伝にも費用はかかる。政治的・経済的な関係にしても、往々にしてお金持ちの国のほうが優先される。みんなが関心をもつから情報もはいりやすい。
韓流ブームとて、韓国が経済力をつけてきたことと無縁ではないだろう。先日コメントした 『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』によると、台湾でも2001年に韓流ブームがあったとのことだが、制作費が安く日本ドラマに似たものとして韓国ドラマがうけたらしい。しかし、日本の韓流ブームは、制作費の安さ故ではない。『冬のソナタ』が爆発的人気をよんだのは、そのクオリティによる。ゲンキンな日本はお金持ちの国なんである。

中国・台湾やほかの国が経済力をつけていくにつれて、状況は少しずつかわるだろう。
台北にはじめていったのは、1998年。そう昔のことではないのだが、その頃なかった地下鉄が今はできている。
バンコクもすさまじい。このあいだ、4年ぶりにあそびにいったら、ここは香港か、と見まがうばかりになっていた。あちこちに建築中の建物がある。高級ファッションビルが何軒もできていて、化粧品やらお洋服やら、得られているものは日本と同じ。値段も同じ。M.A.C.の化粧品売り場では若いタイの女の子が化粧してもらってた。屋台の汁そばが50円程度の、タイの庶民の物価からすると、とんでもない値段でないかと思うのだが、街には制服姿の中高生がいっぱいふらふらしている。4年前は学生が街であそんでたりしなかったよな、ということはやっぱり中産階級層の生活が豊かになっているんだろう。

ただ、これらは首都でのこと。台湾はともかく、タイの地方都市や田舎がどうなっているのかまでは、行ってないからわからない。先富論というやつかもしれない。私がみてきたものは、私がみたものでしかない。が、中国だけでなく、アジアの国々のここ10年の成長はめざましいことは、おそらく間違いない。そして、よく指摘されていることだが、これらの国の子供や若者は元気だ。

矛盾はいろんなところにある。すぐになにかができるというわけでもない。まずは、関心を持ち続けること。できれば自分の目でみること。何故って、面白いし楽しいから。文化的なちがいとか歴史的背景とかの知識はそうこうしているうちに身についてくる。なにかやりたくなったらやればいい。あと、自分たちの足下を崩さないようにすること。
自分が年老いた頃、これらの国々の今がテレビやインターネットをつければ流れ込んでくるようになることを楽しみにしている。楽観的なんである。







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2004年10月26日

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』

東京国際映画祭です。六本木ヒルズって、いくたびに砂上の楼閣という言葉が頭に浮かぶんですが、世界から俳優女優監督プロデューサーそのほか関係者がやってくる映画祭の雰囲気と一致しています。あちこちにはられたポスターが気持ちいい。映画は一瞬の夢を見る娯楽だもんね。さて、本日は『ライス・ラプソディー』(海南鶏飯)という作品をみてきました。

主人公はシンガポール一の海南鶏飯屋さんの女主人のお母さん。海南鶏飯とはシンガポール名物のチキンライスのことである。3人のお年頃の息子がいるがどうも3人ともゲイらしい。お母さんとしては、せめて高校生の三男だけでも女性と結婚して孫を見せてくれないか、と考えるわけだが、さていかに、というおはなし。フランス人の女の子をホームステイさせたり、彼女に惚れてる近所のおじさんが海南鴨飯を開業したり、魅力的な登場人物たちが物語を賑やかに展開していく。脇役となる長男、次男の恋の進展も楽しい。
同性愛を扱った映画には見応えがある佳作が多い。愛情に対して繊細に向き合わざるを得ないからだろう。この作品も例外ではない。ゲイをテーマにしたほかの作品のほとんどが当事者を主人公にしているのに対して、この作品は、ゲイの息子をもつ母親を主人公にしているところが斬新で、そしてその設定は成功している。決して頭の固い母親ではない。でも母親としての希望や我だってある。息子たちを愛する現代的な母親だ。この母親をシルビア・チャンが熱演している。
舞台がシンガポールというのもいい。登場人物たちは英語と北京語を話す。自転車、水、と、熱帯の都会・シンガポールに似合うモチーフが効果的に使われていて、アーティスティックな映像も嫌みになっていない。音楽は日本の川崎真弘。
今日的なテーマを真面目に扱っているのに、軽やかで見終わったあとも爽やか。派手な作品ではないが、マニアックすぎる作品でもない。これから、Bunkamuraや岩波ホールなどで上映される可能性は大きい。『女人・四十』がいけたんだから、これもいけるはず。コンペティション部門ということだが、かなりいい線いくだろう。映画祭らしい映画でもある。

と、ベタ褒めしていますが、上映後のティーチ・インが楽しかったことも好印象の所以です。監督のケネス・ビィ、主演のシルビア・チャンにマーティン・ヤン、音楽の川崎真弘にエグゼクティブ・プロデューサーのロサ・リーと豪華な顔ぶれ。司会の紹介の前にみんなで前にでてきてしまったり、なごやかな雰囲気でした。
ケネス・ビィはまだ30代でしょうか。ちょっとWEBをひいたら、かのフルーツ・チャンの『花火降る夏』の音楽やってたとかで、映像感覚に納得しました。英語と北京語のセリフの書き分けをどうやって決めたのかについては、あんまし意識していなかったらしい。
作品タイトルについては人それぞれ意見があるようですが、私としては中国語タイトル、英語タイトルともこれでよいと思う。英語タイトルはたしかにわかりにくいかもしれないけど、チキンライス・ラプソディーじゃないしねぇ。日本語タイトルがこれからどのようなものになるのか、楽しみです。
特筆すべきはやっぱりシルビア・チャン。ショートカットで頭が小さくてかわいいの。スタイルはいいけど背が高い、というわけでもない。赤いショールはもってましたが、黄緑色のカットソーにパンツスタイルと、ラフなスタイルで大女優然としたところはなし。でも、ぼーっと座っていても常にみられる立場にある人はなにかが違う。亜週明星総覧によりますと、1953年生まれの大女優です。監督やったり、香港の金像賞で最優秀女優賞もらったり、けっこうなキャリアです。年齢なんて意味ないです。ロサ・リーもきれいな人で、おそらく年齢的にはシルビアより下でしょうが、人前にでると、女優とプロデューサーでは微妙になにかが違う。

このような監督・出演者を前に映画を語る場に、一般の映画好きが紛れ込むことができる映画祭はやっぱりたのしい。
最前列は報道陣で、うち8割方以上は女性でした。

帰りに麻布の海南鶏飯屋に立ち寄ろうかとふらついたが場所をうろ覚えでたどり着けず。映画に料理をからめるのは常套手段であるが、人間の別の欲求を刺激することは確か。

『ライス・ラプソディー (海南鶏飯)』
監督:ケネス・ビィ 2004年
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2004年10月25日

大陸の貧富の格差の広がりというテーマ

かくしてアンテナも届き、めでたくBSがみえるようになりました。『流星花園』関係で恩恵がうけられるようになるのは来週のようですが、この週末テレビッ子と化しています。

さてNHKの『63億人の地図』が中国をとりあげていた。この番組が地図を上手くつかっているか、はおいといて、大陸の貧富の格差の広がりというテーマは、中華圏に興味を持つ者にとって外せない。
ドキュメンタリーにとりあげられている素材は、あくまでも取材陣がみたものだが、にしたって、今回取り上げられているのは現実の一部と思って間違いなかろう。
上海の富人区という地区がでてきたが、中国のお金持ちはすさまじい。日本人からみると、そんな大げさなともみえる設定の『流星花園』の道明寺のおうちみたいな家は現実にある。都市部の金持ちはとことん金持ちで、農村部は子供に教育を満足にうけさせてやることもできない。で、「民工」として都市部に出稼ぎにでて、その子供たちはとりあえず小学校までは「民工学校」に通っている。
気になった言葉として「先富論」というのがあった。先に豊かになれる者から豊かになれ、という?小平の言葉。現在では「共同富裕」を目指しているらしい。

いろんな見方ができるわけだが、いろんな面で他人事ではあるまい。現在の中華圏からは目が離せない。急激にうごいている。
中華明星は関心事のひとつなんで、農村部の女の子が登場したとき家にその手のものはないかと思ってみたが見あたらない。大陸でも明星やらなんやらに幻影をみいだすのは、都市部住民なのか。農村部では、まずは日々の生活か。大陸での明星消費について、はたして実態はいかなるものか、誰か調査してないか。
一つの大きな国家にはげしい貧富の差があるのはよいことだとはいわないが、現在のところ差がそれほど大きくない国でしか生活していない者からすれば、貧富の差がひきおこす様々な社会現象というのは、調査・記録しておく価値があるように思うのだが。いずれ解消されるという楽観的な観点からも。

BSのディベート番組では、中国から日本にきている留学生が「日本でも、文化交流のために今の中国のドラマや音楽を放送してほしい」というようなことをいってた。F4じゃなくても、大陸のドラマ『還珠格格』とかみたいんだが、手軽に見る方法はないか。
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2004年10月23日

『Boys Over Flowers』です

先日、アメリカの地方都市にいったんですが暇をみつけて本屋さんをチェックしてました。本屋さんは何件かありましたが、うちショッピングモールにはいっている本屋さん、-といっても中規模のワンフロア店ですが-、がASIAN Comic - mangaが充実してました。フェアをやってて3冊買うと少し値引きしてた。

ASIAN Comicとしましたが、韓国の作者によるものが数シリーズあったくらいで、95%が日本のマンガです。1冊10ドル弱くらい。コミックは長いものだと数十巻におよぶことを考えると結構なお値段です。有名作品が英訳されてペーパーバックとなっているのですが、吹き出しの中のフォントがちゃんとコミックのフォントになっていたり、擬音も英訳されていたりして、絵柄はもちろん日本語版と同じなんですが、ずいぶん印象がかわっています。デザイン的にアメリカナイズされて、クールにはまってます。日本でいう奥付部分をみるとアメリカ人のエディターがクレジットされています。

だんぜん多かったのが高橋留美子。『犬夜叉』はフィギュアも売られていました。副読本(というのか?)のアニメ制作現場についての本まで英語版がでていた。ほかに記憶にあるのは、吉田秋生『BANANA FISH』、井上雄彦『SLAM DUNK』、竹内直子『セーラームーン』、あとCLAMP、鳥山明、などなど。日本でメジャーな作品ばかりです。マンガの描き方の本も並んでいました。

『花より男子』もありました。『Boys Over Flowers』ね。英語タイトルはいまAmazonで確認したんですが。つくしが、道明寺が、類が、英語しゃべってるんです。読者として嬉しい限りです。
すぐれた作品というのは、アジアでも北米でも通用するんだなとしみじみ。諸外国でうける作品をうみだすクリエイターの層が厚いことについて、日本は誇っていいと思うのですが、誇るまでもない時代となりつつあるのかもしれない。いや、一部のスポーツ選手や俳優の世界進出で騒いでいるところをみるとまだそこまでいってないか。

欧米やアジアにおける、マンガを代表とするいまの日本のヲタクカルチャー人気って、むかしむかし浮世絵が欧米でうけたことを思い出させます。100年後には、今のマンガ作家たちは歴史の教科書にのるような存在になっているんだろうな、と。20年ほど前には国語の教科書に『マンガを読むのは悪いか』といったようなテキストがのっかっていたことを思うと時代は明らかにすすんでいる。

アメリカにおける日本コミック輸入事情については昨年の今頃の『編集会議』に知人が取材記事を書いてました。参照しようと思ったのですが行方不明。
マンガやエンターテイメント小説の輸出は、出版不況を救う救世主とならないでしょうか。栗本薫の『グイン・サーガ』も英訳版の出版がはじまりました。今は文化輸出の好機かもしれん。


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東京MXテレビの『流星花園』サイト、次回予告が第4話になっていて一安心。『流星花園』をチェックするようになるまで、このテレビ局があることに気がつかなかったのだった。最近はたまにみてますがいつもテレビショッピングやってる気がする。

posted by 夏居 at 00:15| Comment(0) | 単行本・マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月22日

朱考天くん初アルバムだそうな

朱考天国際専属後援会とかいうところにアルバム自主予約受付とかあったんで気になってたんだが、中華芸能ニュースで具体的な話をみて一安心。いーきんと小春くん、レコード会社まで同じだったんか、ということに今更気がつく。仲良しやね。小春の『夜生活2004』というアルバム気になってはいるんだが、うーん。買ってない。

しかし、この自主予約、気になります。Kenちゃんのアルバムだったら、歌において期待できるし。台湾でのイベント、タイミングがあえば行きそうな自分がいてとても怖い。

それよりもこの国際専属後援会には、申し込みしようとして忘れていて思い出して会費を振り込んでみれば、受付終了になっていて問い合わせ中なのだった。自主予約はこっちのかたがついてからですわ。

最近の中国情報局・田村さんの記事では張学友が『雪狼湖』を北京でやるってのも気になった。実はたまたま香港に行ったとき当日券でみたんですが、楽曲はなかなか完成度がたかいように思えた。たしかディック・リーによるものだったはず。学友は日に日にやつれていったというが、そりゃほとんど一人舞台だもんね。マイケル・ツェーががんばっててよかったんだが。しかし、冬の北京ですか。寒い。
posted by 夏居 at 01:58| Comment(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月21日

大散財の巻

嗚呼、ついに負けました。10年近く前に19800円ほどで購入したビデオデッキの下に、それよりかやや横幅のあるブツが鎮座していらっしゃいます。BSをみるためのチューナーです。HDD/DVDレコーダーも兼ねています。本日届きました。

購入するかどうかにだいぶ悩み、機種選定にだいぶ悩み、どこで買うかにだいぶ悩み、で、思い煩っているのが面倒になった挙げ句です。わりと大きな買い物なので。
テレビをみる習慣はあまりありません。選択する余地の少ない受け身の娯楽ってのは飽きます。つけっぱなしで流しておくってのも嫌いだし。
学生のときは、はじめはテレビなし、後半は拾ってきた白黒テレビで生活していましたが、あんまり困りませんでした。未だにその延長でテレビをもってません。場所とるし。
なのでBS見えるようにしてもいったい見るのか、というところでさんざん悩みました。が、見たいものはみたいじゃないか!! BSチューナーはこれから価格が下がるとは思うが、見たいのは今だし。時間があるのは今だし。自分に言い訳しておけば、半年後に引っ越しで行き先は地方都市で映画館も少ないんで、有料放送の導入も検討してもいいくらいではないか、と。荷物を増やしてどうするんだ、というのはおいといて。

こいつらのせいで財布が軽くなっていく、と東京MXテレビの『流星花園』サイト眺めてるんですが、次回予告が放映済みの第3話ってのはまずかろう。

どうせなんでHDD/DVDレコーダー搭載型を長期保証に加入できてポイント還元率の高いとこで購入。HDつんでるものは、長期保証にいれてやりたい。ちなみに購入したブツは、普通はチューナー内蔵型HDD/DVDレコーダーというらしくって、HDD/DVDレコーダーとして売られてます。テレビ搭載型のチューナー(逆)も量販店の店舗まで見に行きましたが、テレビが馬鹿でかいんで却下いたしました。

結局こういう映像機器を導入する動機ってのは、みたい番組があるからというところにつきるようです。むかし東京オリンピックとか美智子さんの結婚でテレビが売れた、というの、よくわかります。
最近ひとさまのブログを適当にみてると、モーニング娘。のためにHDDレコーダー購入したとかその類の記録がみられまして、ああなるほど誰しもねぇ、と納得する次第。
ちょっと高額なデジタル機器の購買層ってのは働き盛りの社会人だと思うのですが、いまどきのそのへんの年代って興味が多岐にわたっている。にもかかわらずインターネットで簡単に見たい番組についての情報がえられるわけで、そういうふうにして有料放送とかAV機器って売れているのかもしれないなぁと。

視聴するためのテレビがノートパソコン、というのが哀れです。USB接続なんでリモコン操作にタイムラグがあるし。画質にはあまりこだわってません。とりあえず見えればいい。テレビは液晶で画質がよくってデザインもかっこよくて手頃なものが普及するまでいいや。

とりあえず地上波アナログは映りました。まだBS日テレは映りません。アンテナがない。もちろん発注済みです。土曜日までに届くと、流星花園IIの最終話がみえるんだけど。
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2004年10月20日

トニーさんに200人

トニーさんが来日したそうです。空港に200人って、成田までいった方々、みんなトニーさんの姿をみることができたんでしょうか。

よくわかんないんですが、明星の空港お出迎えって、公式行事なんでしょうか。サイン会とか握手会とか記者会見とか舞台挨拶とか、客を相手にしたもんじゃないように思えるのですが、でもどうもそうでもないらしい。報道陣は行っている。マスコミもいってしまえばお客さんの代表でしょう。「この日のこの便に乗るからね」ということが公表されてるんならば、とりあえずパブリックな場なのかなぁ。こういうときの人数って人気があることの証として宣伝になるし。

熱心な迷は、便はわからなくともスケジュールから推察して空港に出向いたりもしているみたいです。好きな明星を一瞬でも生でみたい、というのはわからんでもないです。迷としては、移動中だと、サイン会とか握手会とか記者会見とか舞台挨拶とかいった公式の場とはちがったリラックスした表情がみえるかも、という期待があるのはよくわかります。そりゃまぁ、私とてトニーさんの寝癖姿見たくないかといわれればみたいです。が、どうも半ばプライベートみたいなところにはあんましわざわざ出かけようという気は今のところおきません。報道された写真は面白がって見てますが。
亡くなってしまった某大明星がコンサートで来日したとき、移動を張っていた迷が大勢いたみたいですが、なんかちがうなーと思いました。そりゃ見たくないかといわれれば見たいですが。新幹線にみんなでおしかけてもねぇ、と思った記憶があります。明星もヒトなんだし。
もっとも、賑やかしてやってもよさそうで、自分の都合とテンションがあえば、この限りではありません。基本的に明星は公式な場や作品を楽しむのがよろしい、というのが私見です。

移動見たさのファンってのはスポーツ選手やら政治家やらの場合もいますね。そういえばワールドカップのときはサッカー選手の移動みたさの人たちが賑やかだったみたい。みんな、なんかに集団で熱狂したいのかもしれない。
posted by 夏居 at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 中華明星そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月19日

『Fantasy 4ever (煙火的季節)』

通勤のお供となっているMP3プレイヤーには、当然のごとくもっているアルバムは突っ込んでいます。『Fantasy 4ever (煙火的季節)』、私の持っているのはおまけVCDがついた台湾版です。どうでもいいんだけど、iTunesに読み込ませようとしたら曲のタイトルも自動で読み込んだのには感激しました。さすがはSONY。って、最近まともにCDを買ってないのがばればれですが。

よいアルバムです。はい。ホンハム演唱会のVCDでの映像が頭に浮かぶから、ということもありますが、構成も曲もよくできてます。4人での『絶不能失去ni』やら『煙火的季節』、『Ask For More』なども耳に残りますが、朱考天の『晴天』、朱考天とヴァネスの『當ni是朋友』あたりも何度でもききたくなります。スタジオも相当努力してるらしいですが、このアルバムをきくかぎりKenちゃんはイケます。声がやや高めでちゃんとのびている。ヴァネスはラップがかっこいい。四人の歌唱力には差がある、というのは定説らしいですが。まぁ、はじめはなんでも声出して踊っていればよろしいと、促成栽培の特訓で無理させたんでしょうしねぇ。
F4の音源関係ではほかにも2枚ほど保有していますが、どうしてもこちらの4人でのアルバムをききたくなります。
『第一次』は、ジェリー君がんばったねアルバムでわりと普通なんですわ。ジェリーが一生懸命プロモーションして働いたおかげでいっぱい売れてめでたいことですが、楽曲そのものには飛び抜けた色が感じられないのは、思い入れがまだそんなにないせいか。

はい、F4迷を自称しておりますが、『流星雨』持ってません。最近BS導入計画をやってまして余裕がないのです。テレビ専用機持ってないのに。ついに我慢できなくなってきました。
posted by 夏居 at 02:08| Comment(3) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月18日

『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』

台湾では日本のポップカルチャーが大人気だという。今日もw-indsのチケットが台湾で23分で完売したというニュースが目を引いた。日本びいきの若者たち、 哈日族とはなにか、日本のなにが台湾の若者にうけているのかを歴史的背景とからめてある程度まとめられている。著者は台湾在住の30代フリーライター。エピローグで述べているように、本書は社会学的に客観的な統計データを挿入しようとした結果、台湾の大学院生の修士論文からの引用が多く、著者の独自の観点からの考察はそれほど多くなく、中華圏文化に興味がある者からみると正直いって物足りない。しかし、注目すべき記述はある程度見られる。

台湾の若者の日本ポップカルチャー好きはドラマからはじまったという指摘は興味深い。いわゆる「トレンディドラマ」「ポストトレンディドラマ」が90年代前半にケーブルテレビで放映されるようになり、日本の役者、音楽、生活、そのほか諸々が親しまれるようになったという。 そして哈日族は一時的なブームで終わるかとおもいきや、10年以上も続いている。

本書では2001年の台湾での韓国ドラマブームにも触れている。さらに、今後アジアの各地が流行発信源となり、ポップカルチャーが相互に流通するようになる可能性も述べられている。

首をかしげざるを得なかったのは、台湾発ポップカルチャーについて、『台湾のポップカルチャーが日本でも受け入れられることもあるのであろうか』というくだりである。エピローグの章は2004年の4月に書かれている。2004年10月の日本の状況はといえば、台湾発のポップグループが表紙の雑誌が一部地域で品薄になっているんである。2003年10月に「流星花園」のメールマガジンははじまっている。著者は、その気配を感じることはなかったのだろうか。そもそもこの台湾発ポップグループをみるがために台湾へわたった日本人は、2001年の初舞台の時点からいる。
もっとも、首をかしげざるを得ないのは、私がふつうの日本人よりも中華ポップカルチャーに親しんでいるからである。一般的な、メディアがターゲットとする日本人からすれば、中華圏のポップカルチャーはまだまだ視野の範囲外という状況なのかもしれない。

また、『台湾ドラマはしばしば「女性の献身、貞節、忠誠」が強調されて古くさい』という記載もある。だとしたら、2001年の『流星花園』はかなり画期的だったのではなかろうか。先日のNHKの中国語講座で朱考天が答えていたように、なにもかもが新しかったのかもしれない。
残念ながら本書では『流星花園』についての記述はない。台湾のドラマで若者にうけたドラマとしては、本書ではサスペンスドラマ一作が挙げられている。この日本のコミックを原作とする傑作ドラマがなんで抜け落ちるんだ、と疑問に思ってしまうのはただの迷だからだろうか。

ある国にいても、その国の大衆にうけているもの、話題になっているものは案外目につかないのかもしれない、と、私の個人的な経験から思いもする。興味の範囲外のものは抜け落ちてしまう。所詮インテリのお客さんなのである。

『流星花園』以前の台湾のテレビドラマが、本書が述べているようにお寒い状況だったとしたら、台湾ドラマブームが日本を席巻するのはかなり厳しいだろう。日本で話題になっているのはF4関連のドラマばかり。これだけだと、いずれ底をつく。F4以外の台湾のタレントが日本人の心をとらえるかどうかもポイントだろう。
もっとも、台湾だけでなく大陸まで含めた「漢流」ブームの可能性はなきにしもあらずだが。


『 哈日族 -なぜ日本が好きなのか-』 
酒井亨 著 光文社新書  2004年5月 700円
posted by 夏居 at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 単行本・マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月17日

明星ブランド論 その2

『明星ブランド論 その1』にいただいたコメントにお返事かいていたら長くなってしまいましたので、その2としてだらだらつづけます。

明星は不特定多数の迷の愛をうけとることもお仕事だったりして、大衆はそういう存在を必要とする。で、大衆というのは恋愛という行為に気づいた10代の女子もしくは男子だけではない。たしか20年くらい前は、日本でアイドルにきゃーきゃーいっているのは、圧倒的にティーンエイジャーだったような気がしますが、最近、どうみてもおじさん、おばさんとしかいいようがない世代もアイドルを求めている。もっともここでいうアイドルには、女子アナとか政治家、スポーツ選手なんかも含む。おじさんの女子アナ好きとか。
日本の中華明星迷は、特に20代後半から30代の女性が中心となっていて既婚者も多数含んでいるというのは興味深いところ。また、かの韓国では中華明星を含めたアイドルに熱中するのはティーンエイジャーであり、実際に彼氏ができるとアイドルはそっちのけになる、という話をきいたことがありますが、これも興味深いところです。

実際の恋愛でもイメージ(幻影)の投影という側面はあるわけだが、対象となりうる人には、気持ちをうけとってもらえるかどうかわからない。誰かを愛するってのは結構気持ちのいいことであり、アイドルはその対象になり得る。明星の商品を買いあさっているとだんだんその明星に貢いでいるような気分になってくる。アイドルはイメージ(幻影)の投影の対象であって、自分がなげかけたイメージを愛するのは、すなわち自己完結である。明星に熱狂するのは疑似恋愛ともいえる。幅広い年代にわたってイメージの投影対象が求められている社会であるからこそ、ブランドが成り立つ、とも考えられる。
戦争を経て、高度成長期を経て、そしてたどり着いた現在であり、常に我々はイメージ(幻影)を追い求めている。我々というのはとりあえず日本の大衆。

アクセス解析をみていて、キーワードが「チェ」「ジウ」「アイコラ」でここにたどり着いた方がいらっしゃるのに気がついて苦笑しましたが、異性に対する男性側の妄想というのを受け止める女明星、女子アナ、女性タレント、というのは同じ女子からしてみれば、なかなか精神的にタフでないとつとまらないお仕事に思えます。同じ性的なものを含む妄想でも、男性の場合対象に対する直接的な暴力性を含むことがとても多い。
1985年に「アイドルはやめられない」と秋元康作詞の『なんてったってアイドル』で元気に笑い飛ばした小泉今日子はこのあたりを体感していたものと思われます。女性側、ときにゲイの方々の妄想の対象になる男性タレントも、それはそれで精神的な負担はあるでしょうが。

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さてはて、東京MXテレビの「流星花園」は第3話でした。仔仔がちゃんと花沢類になっている。階段をおりるヴァネス君は美作じゃなくってヴァネスだね。原作ではやや手を抜かれていた美作くんがヴァネスによって存在感を改めました。

続けてみるNHKの『美しき日々』、美男美女の純な大人の世界。イ・ビョンホンはスーツの似合う男前。なんで父親とあれほどに仲が悪いのに父親の会社にいるのか、というツッコミはおいておく。
posted by 夏居 at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月16日

明星ブランド論 その1

さて、そこらへんのちょっと格好いいお兄ちゃんと明星との違いはどこにあるのか。

『流星花園』『ABCDEF4』と、F4のみなさんをみています。2001年、デビューしたての頃でして、みんな結構ふつうのお兄ちゃんです。『ABCDEF4』でスタッフと一緒にセットをお片づけしている様子、ぜんぜん違和感ありません。かんじのよいお兄ちゃんたちです。2002年のホンハムのDVDのオープニングでも、派手なペプシの衣装は着せられてますがリズム感のよいヴァネス君はともかくあとのお三方は、スポットライトがとても眩しそうでした。でも、彼らはF4なのです。アジア圏を席巻するアイドルたちなのです。

彼らは歌を歌いますが、格別上手いというわけではなく、迷でなくて生歌をきく機会があった人のレポートをみると●●(伏せ字)だそうです。踊りもしますが、これもまたヴァネスをのぞけば●●です。

こういってしまってはなんですが、彼ら、アジア人として格別に眉目秀麗、というわけでもありません。旭君はちょっとひとくくりにできない独特な容姿をしてますが、それでも角度によってはわりとそこらへんにいそうだったりする。おそらく、アイドルの見せ方ってのを日本ほど計算していないんだと思うのですが。
そりゃ背は高いし、ガタイやスタイルはいいし、顔立ちも整っている。が、街を歩けば結構、素材のいい男の子ってのはいます。台湾の男の子がってわけではなくって、日本でも最近、お洒落な美少年が電車でウォークマンきいていたり、ショップの店員だったり、はたまた住宅展示場につっ立っていたりします。

にもかかわらず、私たちはF4に熱狂します。アイドルにとって容姿は最大の売りのひとつであって、ひきしまっているほうが評価されるはずですが、明らかに太っても、関心がなくなるどころかそのことを話題にして喜びます。歌が●●でもOKです。踊っているのが動いている程度であっても、一生懸命なのね~と喜びます。ドラマだって、ただ出演しているってだけで見てしまいます。マスコミに流れる彼らの一挙一動が気になります。

何故、台北の光華唱片や渋谷の東急ハンズで働くかっこいいお兄ちゃんではなくてF4だったりV6だったりするのか。これは、ジャケットでもユニクロよりもアルマーニのほうが素敵、カバンもそこらへんのものよりかエルメスやプラダがいいの、というのとおんなじだと思うのです。つまり私たち大衆はブランドに価値をみとめて熱狂する。ジャケットなんて体を覆う機能があればいいし、カバンなんてモノがはいればいいんですが、私たちは対象にそれ以上のものを求めて余分な金銭を支払う。イメージに対してです。ヒトについてもおなじこと。もっともヒトに対しては、私たちはイメージ以上に相互のかかわりあいとかそのほか諸々を求めているわけですが。

アイドルはイメージを売っている。芸能人には歌だとか芝居だとか、芸を売り物にしている人も多数いるわけですが、彼らとて芸のみでなくそのイメージを売っている。いや、芸能人だけでなく政治家でも作家でも、不特定多数の人に身をさらして仕事している人は、好むと好まざるにかかわらずイメージを売っている。

よく知られたブランドには安心感と信頼があります。明星も広く知られるほど安心感がうまれます。格好いい街のお兄ちゃんのグルーピーになることはなくても、明星迷になるのは、その安心感すなわちブランド故でしょう。アイドルの人気は、いったんつくと加速度的にひろがります。
ブランドをつくるのは大衆である、ということです。モノでもタレントでも、最近はやりモノは制作者側によって仕掛けられることがとても多い。裏には入念なマーケティングや品質管理があったりする。が、それだけでは大当たりは狙えない。見せ方やマーケティングが緩くても、しっかりしたものがあれば、受け入れられる。

さて、ここで考えてみます。「流星花園」が作成されず、言承旭が言承旭にならず廖洋震として台北のセブンイレブンで関東煮なんか売ってたら、ヴァネスがあーろんか誰かのバックステージで踊ってたら、Kenちゃんが隣に住んでいて時々売れない役者をやってたら、仔仔が香港のマダムの囲われ者だったら、はたしてなにかを感じるでしょうか。
posted by 夏居 at 00:32| Comment(3) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月15日

ブログのゆくえ その1

数あるブログサービスからseesaaを選んだ理由の一つに「アクセス解析」なる機能が無料で利用できることがあげられる。これがやっぱり面白い。

単なるアクセス数だけでなく「時間毎のアクセス」ってのがみえるのですが、ブログをたちあげた頃はほとんど自分しかみていないんでは、てなもんだったのが、1ヶ月たった今では、どう考えても自分がアクセスしたとは思えない時間にみてくださっている人がいる。アクセス数も多少増えてきている。
「検索」ワードってのもみえまして、どんなキーワード検索でここにたどりついたのかもわかる。今のところ多いのは「ABCDEF4」。購入を迷ってらっしゃる方、コンサートDVDを気に入った方ならば一見の価値はありますんでおすすめしておきます。ファンからのお手紙に埋もれているヴァネス君など、見所満載です。一般的にバラエティ番組のDVDってのはあまりないんでは、とも思います。
「おっ」と思ったのは「藍宇」で検索してきていただいた人がいたこと。これも傑作映画ね。「やおい」の世界を映画化するって、なんで中華圏は上手いんでしょうか。『美少年の恋』とか。どうも「やおい」と中華明星迷にはクロスオーバーする部分があるようにみえます。中華明星迷のサイトをみると奥の方に、警告つきで妄想小説が隠れていることが多々あります。因みに私は「やおい」関係は栗本薫どまりです。『小説道場』を単行本で読んでいるだけでおなかいっぱいになりました。べつに嫌じゃないですけど。

さて、先日コメントした『<美少女>の現代史』(ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書)に「ブログは視線のさばき方を芸とする行為である」という指摘があった。端的な指摘だが、実際には視線の行方であるリンクを上手につかったブログは少ないのではなかろうか。
手軽な自己表現の手段としてブログは普及している。そこに+アルファの機能がはいる。忘備録、写真や画像の置き場、自己表現のさらにすすんだ自己アイドル化など。
ちなみに個人の意見の表明が盛んなアメリカでは911をきっかけにオピニオン表現の手段として普及し、もともと個人が日常を書き流す文化がある日本では日記として普及したという。ブログ普及の背景やその内容には、お国柄の違いもあるという記載をどこかで目にした。

注目すべきは、手軽なネットコミュニケーションツールとしてのブログの機能だろう。主に文章で構成されることが多いブログでは、作者のひととなり、もしくはネット上での人格が、これまでの掲示板や会議室よりもはっきりと形成される。伝えられるのは主に感情や感覚、ときにオピニオンとなる。他者はそれらをみた上で、作者とコミュニケーションをとることができる。この点が、知識や情報を伝えることが目的となることが多いホームページとは異なる。本や音楽、映画など一人で感覚的なものを得ることが多い趣味を他者と共有する楽しみを簡単に得るツールとして、ブログは強力だ。エンターテイメントが多岐にわたる今日、趣味が一致する人がまわりに、たとえいても数人ということが多いなか、同好の士と簡単にコミュニケーションをとることができる。そして趣味をはなれて他者とかかわること自体が目的化することもままある。

そんなわけで、ここんところ話題がF4や中華明星から離れていっているのにもかかわらず見てくださる人、コメントくださる方がいるのはうれしいことです。はい。
posted by 夏居 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | コンピュータ周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月14日

『CREA』 11月号

『CREA』 11月号である。ヨンさまのロッテ免税店の広告が表紙の(しつこいですが「さま」は名前の一部であって敬称ではない)韓流特集である。本人の写真を表紙にせず、広告看板を表紙にするってのは上手いなぁ。アングルもいいし、本人グラビアよりよほどインパクトがある。あまりの巧さについ購入。

中身もさすが『CREA』、映画特集・旅行特集を得意とするだけあって手慣れている。ヨンさまグラビアは、ぱらぱらめくって、49ページにある。この写真が表紙だったら買わなかった。
目をとおしておきたかったのは、韓国ドラマガイド。ドラマは全部見ようとおもったら、20時間は平気でかかる。レンタルで借りてくるにしても限られた時間、どのドラマがおもしろそうか、一応目星をつけておきたいので。が、特にみたい、気になるというほどのものは、今のところなし。ウォンビンもチャン・ドンゴンもいいんですけど。
ウォンビンの次回作の映画、『俺の兄貴』ってタイトル、いったいこのまま邦題になるんでしょうか? タイトルをはじめて目にしたときは上野のあたりで上映する映画かと思いました。カン・へジョンの『オールド・ボーイ』は気になる。

ところで、『POP ASIA』をみて気がついたのですが、アジアン俳優を誰彼となく「王子」と呼ぶようになったのはいつ頃からでしょうか。『CREA』がこの表現をつかっていたかは未確認。
明星の楽しみ方は人それぞれってやつですが、わたくしとしては、誰彼なくってのは違和感覚えます。ひいきにしている男明星は、間違っても「王子」ではないね。魔王様をやってのけるレスリーとか、華僑バックにお買い物をつめこんで日本から出国していく旭くんとか。謝霆鋒(ニコラス・ツェー)を「王子」といっているのはわかるんですが。この人は両親芸能人のサラブレッドで当然のように芸能人やってるし、いろいろ事件おこしてくれてるし、王道をいってますから。

日本の美男俳優に対しては「王子」なんていわないよな。自分で営業していた及川ミッチーのような例はありますが。異文化バイアス所以の現象でしょう。外見は日本人と似ていても、異国の人ってところが「王子」のミソ。
posted by 夏居 at 01:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月13日

『<美少女>の現代史』

男性からみた「美少女」をキーワードにしたマンガ論および現代日本文化論である。「視線としての私」についてさいごに少し触れられているところが気になり、通読する。

一般的に女性は男性よりも視線をあびる客体であることを意識する機会が多いのに対し、男性は女性の視線をうけとめることに慣れていないことが指摘されている。実体をもたない「視線としての私」である男性読者にとっての美少女キャラが蔓延する。そして「萌え」という行動が生じる、というのが本書の趣旨であろう。その中で、最近では女性も「視線としての私」として、男性を見る立場に行動を拡大させつつあることも、戦隊モノにでてくるイケメン俳優人気などを例に触れられている。

さて、中華明星や韓国俳優に対して日本人女性ファンは、「萌え」の状態といってよろしい。もちろん、日本人の芸能人を熱心に応援する日本人女子も多い。しかし、中華明星迷やら熱烈な韓国俳優ファンには、いわゆる「ヲタ」のにおいがつきまとう。もっともヲタ=「おたく」に対して最近では、宮崎勤事件のころのネガティブな印象はうすれ、文化を支えている当事者という認識が優勢になってきつつある。

異文化圏に対する方が、対象をよりキャラクター化しやすく、「視線としての私」の立場を獲得しやすいのではなかろうか。女性の場合、社会的に「客体としての自分」でもあることから、視線をそそぐ先をずらすことが多くなりがちになる、ともいえる。このあたり、虚構の世界であるタカラヅカのファンにも相通ずるものがある。

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私にしても、「日本のコミックからアジアを代表するポップグループがうまれたという現象がおもしろい」なんて理屈をいっているが所詮「F4萌え~」の一言で片づけることができるのである。


『<美少女>の現代史』
ササキバラ・ゴウ 講談社現代新書 2004年5月 700円
posted by 夏居 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 単行本・マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月12日

永遠の初級中国語

いつの間にか講師がかわっていることに愕然としている中国語講座である。突発的に中国語の勉強をはじめたくなり、いつの間にかやめてしまったり、を大学で第二外国語で少しだけかじって以来3,4年周期で繰り返しているわけだが、継続していないので一向に上達しない。必要に迫られていないし。

思えば「ラスト・エンペラー」であった。大学に入学して第二外国語の選択を迫られていたころに見てしまった、ジョン・ローン主演の清朝最後の皇帝の映画である。音楽は坂本龍一。当時、一般にドイツ語を選択するところ、ふらふらと中国語をはじめてしまったのであった。が、所詮理科系学生の第二外国語である。なんとなく単位だけを集めて教養部の2年間を修了してしまう。専門課程がはじまると、そちらにおわれて第二外国語どころではなくなる。中国語やるんだったら、まず英語をなんとかしろ、という状態でもあった。
その後職についてから、中国語を勉強してみようかと、短期で先生についても、いつの間にかどうでもよくなることを繰りかえす。

コトバは、人が意思疎通する上での基本である。ある世界に親しみたいならばそこで使われているコトバを身につけたいと思うようになる。世界を構成するのは人だから。そして、強い国・経済的に豊かな国の言葉が世界に広まる。
人を語学学習に駆り立てる動機のひとつには異文化への単純な憧れもある。映画、音楽、最近ではドラマによって違うコトバを話す人たちに憧れる。もしくはほかの文化をバックグラウンドとする歌手や俳優・女優が自国のコトバを話すことによって、その国に親近感を持つようになる。人を楽しい気持ちにさせるエンターテイメントは、大きなエネルギーを持つ。
もっとも、一般的に経済力のあって余裕がある国ほど、娯楽の質も高い。ここのところ韓国や中国がエンターテイメントでも勢いがあるのは、国そのものの発展に密接に関係している。そしてこれらが日本でうけいれられていることを、経済的な関係と切り離すことはできない。そしてこれらアジア圏からの映画やドラマが広く愛されるようになり、コトバを学ぼうとする人は増え、関係はますます強まっていく。

むかし台湾を一人で歩いているとき、韓国人の男の子と出会った。英語で話をした。彼は言った。「アジア人同士が英語で話をしているってのも妙だよね。これからは、英語と、アジアの言葉どれかひとつが話せるようになるないと」。

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要は、NHKの中国語講座のKenちゃんこと朱考天インタビュー、しっかりした話の内容ですごくよかったのってことでした。「流星花園」よりもステージのDVDよりも、だんぜん格好いい。だいぶ株があがりました。流星花園のKenちゃん大活躍の場面まで放映さ。また勉強しなおしで、中国語講座見続けようかしら、ってことでした。われながら単純。

posted by 夏居 at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | F4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月11日

英雄 HERO

テレビ放映で「英雄 HERO」を見直す。


隅々まで計算しつくされた画面が美しい。構図、色使いに隙がない。人物の配置も狂言回しとしての無名、花形役者としての殘劍と飛雪および如月、ほかの者たちに命を狙われていることから話の中心となる秦王、起承転結の起となる長空、と無駄がない。またそれぞれに適切な役者があてられており、バランスもよい。「グリーン・ディスニティー」など、近年武侠映画(現代風中華時代劇)は豊作が続く。制作費3000万ドルは、中国史上最大というがこの作品ならば納得いく。

飛雪を演じる張曼玉(マギー・チャン)が存在感を示している。中華圏で今最も勢いのある女優である章子怡(チャン・ツイィー)に貫禄で勝っている。チャン・ツイィーも、トニー・レオン扮する殘劍にひたむきに仕え慕う侍女・如月をひたむきに演じている。殘劍のパートナーである飛雪は、トニー・レオンの相手役というよりもチャン・ツイィーの相手役としてみたほうが見所がある。
飛雪(マギー・チャン)と如月(チャン・ツイィー)の関係は昨今、経験を重ねた実力のある女が、評価されるようになってきた社会情勢とも密接につながっている。数十年前ならば、このような脚本になったか、また演じきれる中華女優がいたか、疑問である。
マギー・チャンはもともと平板な丸顔で、アジア人らしいやや幼い顔立ちをしている。本作品では目を切れ長にみせ、剣の実力もある大人の女となっている。「宗家の三姉妹」「ラブソング」「花様年華」と、ここ数年の出演作には、年相応の女を魅力的に演じることができる、安定感ある大女優といった感がある。

梁朝偉(トニー・レオン)は武侠映画むきの俳優とは、正直思えない。どちらかというと、優男。特に逞しい体をしているというわけではない。優れた俳優であるので、危なげなく殘劍を演じているものの、剣の達人であるという設定には違和感が残る。
李連杰(ジェット・リー)は登場場面が多いにもかかわらず目立たない。無名は話の結末を飾る主要な役柄であるが狂言回しに徹している。主演作品も多いアクション俳優であるにもかかわらず地味である。色気のある役どころをトニー・レオンにもっていかれているところもあろう。が、これはジェット・リーの資質としてのストイックさが、映画の引き締め役として効果的に使われているとみることもできる。
長空は甄子丹(ドニー・イェン)。監督の印象が最近強い。日本で釈由美子の修羅雪姫のアクション指導で注目されたためか。秦王は陳道明。

ストーリーはあるようで、ない。画面の美しさと役者を鑑賞する作品である。

「英雄 HERO」
2002年 中国 監督:張藝謀(チャン・イーモウ) 
posted by 夏居 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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